ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

ほどよい遊びがいい影響をおよぼすって

色々な証明書を揃えるために、市役所、税務署から関係書類を引っ張ってきたものを慎重に記入していたら一日すぐに終わってしまいましたよ。なんかお役所に行く機会が私は今までなかったので、全然記入の仕方が分からなく、ネットで情報を検索してもあまりのってないのですよね。とても面倒くさいなぁって気持ちを抑えつつ明日また役所に出向いて申請をしてくるつもりでおります。

 

GWが終わりのようですね。いいのか悪いのか私は万年お休みだから関係ないのだけど・・・。 私はありがたいことに特に読書をたくさんすることができて。久々に読書の楽しみに触れて、読書熱がまた再発しそうで困っています。便利な世の中になったもので、ほしい本はアマゾンでも楽天でも「お気に入りリスト」に入れておけば、PCでもスマホでもすぐに注文できてしまいますもんね。そりゃあ買い過ぎちゃいますよね〜。わたしだけですかね?

 

f:id:riki-yan:20140506225323j:plain

 

さて。今回本を読んだ中にちょとばかし古い本がありましてね。ちょっとばかし翻訳本なので、ちょっと文章がを理解するのが難解なのですけど。なかなか面白い気付きがあったのでちょっとばかり書いてみます。(まだ読んでる途中です)

 

遊びと人間 (講談社学術文庫)

遊びと人間 (講談社学術文庫)

 

 

このロジェ・カイヨウって日本で言うと明治〜昭和中期くらいの人物で、批評家、作家ということですから、相当前だったのですねって。買ってから気がついたんですけどね。

 

「遊び」ってその文字単体で見るとどう思いますか? 人それぞれ想像するものが違うと思いますが、私がすぐ思い浮くのは子供が駆け回っているいて、楽しそうなイメージ。そこにはストレスとか全くなくて好きで動いている・・・という感じでしょうか。

 

そのイメージって、子供の時にこういうふうに言われたところからきています。

 

「ゲームで遊んでばかりいて、勉強をしないとだめだろう」

 

って怒られた事。本当にゲームやってると、時間立つの早かったです。今ではゲームとか何時間もできないですもんね。最近はそこまで面白いゲームが・・・って。その話はいいとして、間接的に一度は聞いたことありませんか?

 

でも、私が大人?となった時というか。学生が終わって会社勤めとなり、社会人になってしばらく経ってあるときにこう言われたんですよね。

 

  • 「遊びがたりないんだよ」
  • 「ちょっと表現が硬いから、遊びを入れてあげるといいよ」
  • 「プライベートで色々遊んでないと、面白いアイデアは浮かばないぞ」

 

って恥ずかしながら、上の方からよく言われたことを思いがします(懐かしさすら感じる)

仕事が企画系だったというのも多少あるのかもですが、逆転の現象が起こるんですよ。

 

  • 子どものとき ・・・ 遊んでばかりいてはダメ
  • 大人になると ・・・ もっと遊ばないとダメだ

 

もちろん皆がそうでは無いですけどね。私の実感はこんな感じです。本にも書いてあったのですけど「遊び」って「真面目」と対極にあるものってことに同感を覚えちゃいましてね。上みたいな区分けをしてる時点でやっぱりちょっとお硬い真面目君」に分類されるのかもですね(笑 まあ適度に遊べってことなんでしょうけど。

 

本では比喩として「機械などの遊び」についても言及していたんですよ。ちょっと私なりに解釈するとこんな感じ。

 

ネジを締めるとき(可動部の部分とか)には適度に遊びを作ったほうがいいって聞いたことないでしょうか。学生の時の工作とかでも先生が言ってました。

 

  • 遊びがないと(締めすぎると)外すとき間違えて締めすぎてネジ穴を潰してしまったり、稼働しない。
  • 遊びがありすぎると(ゆるぎると)動かした時に部品がポロって外れてしまう

 

(僕なんかネジ穴を潰してしまうのは今でもよくやります)

 

これが人間にもあてはまるというのです。遊びすぎるとダメ、遊ばなすぎてもダメ。その間のちょうどよい「遊び」を取り入れよう!そうすると円滑に物事が動きますよって。

 

ってなかなかそういうわけにも行かないですけど。こういう概念が頭にあると。なんか物事がうまくいかない時はちょっと遊んでみようとか、ちょっと怠けていたりした時は遊びすぎたかも?って方針を変えることができそうです。

 

ちょっとまとまりませんでしたが、私はどちらかというと、遊びすぎた?ように思えるので、ちょっと頭のネジをしめて動きたいところですね。