ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

危ないから変な人についていってはダメだよ

って小学校の時によく言われたのを思い出します。下校の帰りに声をかけてくる変なおじさんがいるそうです。「お菓子買ってあげるから」「楽しい事をしよう」「遊園地に行こう」とか誘ってくるみたいです。しかし今の世の中、そんな低俗な事でついて行くお子さん達はいるんでしょうかね。現代ではこういった連れ去り、誘拐未遂に終わるのって変なおじさんの体ではなく、見た目も若い20、30代の青年がもっと違う誘い文句で寄ってくるとかこないとか。誘い文句っていっても、昔に比べてもっと楽しい事ありますもんね。

 

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(もしも自分が危ない人だったらこんな感じ?)

 

さて、俗にいう「変な人」皆さんからしたらどんなイメージなのでしょうか。ちょっと思い浮かべてみてください。そう変な人。変わった人。変人です。いかがでしょうか。

 

ありがたい事に私もどちらかというと?周囲からは変わり者と言われているのですけど、それはどんな所から感じるのでしょうかね。個人的な希望としては、少なくとも「見た目」が変な感じなければ嬉しいのですけどね。(もしそうだったらこっそりご一報を頂けると助かります。

 

色々と皆さん「変な人」のイメージがあるとは思いますけど、私は大分イメージが変わってきました。特に私の思う変な人って「特定の分野で突き抜けてくる人」です。本当に自分にはできない事を普通にやっている人。自分の心理的抵抗がある事をいとも簡単にやってしまうように見えるんですよね。そう。私からすると変な人って良い意味なんですよね。うらやましさすら感じます。自分にもあれくらいできたらなぁとか思うんです。 

 

でもう一度思い出してみます。

 

「危ないから変な人にはついていってはダメだよ」

 

変な人の定義が変わると。意味が変わってきてしまうんですよね。

 

「危ないから“自分のできない事をやっている人”にはついていってはダメだよ」

 

なんかこれって恐ろしい事だなとか思いますよね。

自分ができない事って、怖かったり抵抗がある部分だと思うので。

もしも、潜在意識に染み付いていたら逆に“危ない”とか思ってしまいますよね。平凡になってしまいそうで。(平凡が悪いとかではなくて。

 

変な人ってたくさん書きすぎて、やっぱり変な人かもとか思われている?かもしれませんけど。子供の時に見て、聴いた事の中にもしかしたら、勘違いで現在の自分を縛ってしまっている出来事があるかもなんて・・・私はとりあえず、変な人とか大歓迎だし、今ならついて行けるかも。(やっぱり一部を除きますが

 

いつもながら変な事書いてるなぁと思いつつ。

ふと思い浮かべて、ひとり納得しておりました。