ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

シェアするということ

今日もある場所にお邪魔しての更新となります。そう、静岡のある港町から。ひょんなことからこちらにおじゃますることになりまして、ワインを持っていっての宴となっておりました。また私の気持ちが弱いのか終電に乗ることもできず(いつものパターン)でしょうか結局の今宵はお邪魔した先にお世話になることになりました。はい。

 

さてさて。こうして自分のお家から書くのと、外で書くとでは幾分気分の変わってきますよね。お家で書くのが悪いとかそういうことではないのですけど。外でブログを書くという機会が増えてきまして、これもまたなかなかいいものですね。

 

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今宵おじゃましている場所は、一軒家をシェアハウスという形で借りているようなのですが。なんとも面白い場所です。一時期「シェアハウス」という響きにはずいぶん私も興味を惹かれる部分もありまして、自分の一度経験しているのもいいかも・・・なんて。思ったり。でも私以外と「潔癖」だったりするので実際にすんだら色々と何が出てくるのかもしれませんけれども

 

一見して私の「シェアハウス」に惹かれる理由にも、いろいろ雑誌にて特集として掲載されている内容を見ているからかもしれません。それはやはり価値観の違う人たちが一緒に生活を共にする、また職種の違う人々が生活を共にしているイメージです。なんとも格好良く特集って組まれているのですよね。いろいろなクリエイターたちが生活を共にすることによって、新たな発想、アイデアが湧いたりするとかしないとか・・・。そうそう言ったプラスの面がたっぷり見えてきます。

 

現実的な面でみたら、はやり生活費が抑えられる部分とかが長所に上がるのでしょうか?

 

私は思うのですが、総合的に良いシェアハウスって思うのには条件があると思うのです。それは「皆が個々に独立していること」そう。みなが自立している空間なんです。(あくまで何かを生み出すという観点から見るとです)

 

自立していない人がいるとどうしてもそこで問題?が出てきます。そう。依存する人が出てきてしまうのです。そうなると自立している人は、依存している人を助けざるを得ず。プラスの効果が出にくいように思えます。自立×自立という形がいろいろなクリエイティブな効果を生むのに必要なのだと思います。

 

ちょっと似た例かどうかわかりませんが・・・似たような話にこういったことがあります。結婚についての話です。(私は結婚していないので勝手な独り言できいてください。

 

私が本読んだり聞いたことによりますと・・・

 

結婚して幸せなるっていい方をする人が結婚するとうまくいかないようです。結婚してうまくいくのは結婚する前から両方が自立している場合だけ。結婚して幸せになれる!と思って結婚するというのは相手に依存するするわけなんです。結婚したのだから幸せにして欲しいって場合は破綻してしまうとかしないとか・・・。結局のところ結婚して変わるのは法律上のことだけ。そこから幸せになれるのはその後の関係をうまく作れるかどうかなんですよね。結婚した瞬間に幸せになるわけでないのです。

 

・・・だから私はできないのかしら

 

ん〜。今日も私はお酒を飲み過ぎてよっているのか。ちょっと書いた内容が重くなって?しまったでしょうか。

 

シェアハウスから話は始まりましたが、結局のところ。どんな事柄にもプラスの面と、マイナスの面があるわけです。そのなかでどうやってプラスの部分の得ていくのか。妥協せずに突き詰めていきたい部分ではありますね。