ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

車にお金をかけるの人ってなんなのって思ってた

ごめんなさい。タイトルの通りです。車にお金をかける人はなんなのあれって思ってました。本当に正直に言えば、うちの親が車が趣味?だったりするので、お金をかけている方なのですが。どうも好きになれなかったんですよね。

 

良い車にのる = ステータス

 

ってよく言われますけど(やっぱり田舎の方程式?)

 

どんな公式だよそれ、何考えてんのそれ。って。というか良い車に乗るってことは見栄以外のなにものでもないでしょって思っていたんです。それも理由があって、車にはお金かけたりしているけど、他にお金をかけていないっていうのがなんかださいなって。

 

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自分は俗にいう車に興味がない人間なのでわからないのですが、わたしも大人になったのかちょっと考え方が変わったんです。それもこちらのブログを読んでから。

 

フェラーリを「買えない」のと「買わない」のは、人生の選択肢に大きな違いがある - 内藤忍の公式ブログ

 

まさにこれ。私は正直 “良い車を買えない” 部分にいる人の考えであって “買えるけど買わない” 位置で話をしていなかったなと思った訳なんですよね。だから結局の所、お金を持っていて、良い車にのっている人からしてみたら、私なんかの言っている「良い車に乗っている人はちょっとねぇ〜」って言っているのは、単なるお金のない人が言っている事にしかとらえられないのだなと。

 

会社に勤めていると、役職があがるとこんな車に乗っているとだめだよなぁって人の目を機にするようになるって聞いた事もあります。これも何言っているんだよ。見栄をはらんでいいでしょって思っていた物ですが。下の部下の人からすれば。役職があがれば、良い車にのれるって事は、少なからずモチベーションにつながると考えれば理屈に合っているのかなとか思いますしね。形式だけかもですけど。

 

何事もそうだとは思うのですが、本当の批評ができる条件って“経験”した事のあるひとでなければしては行けないと思うんですよね。というよりも説得力があるっていうのでしょうか。だから“良い車”に乗っていない私が批評をしてはいけないのかなと。少なくとも車を知っている人からすれば気に食わないですよね。

 

私の趣味の一つであるワインでもそう。ぜんぜん中途半端な事をいってるのに、ワインを知っているとか言っている人をみると。ちょっと“ムムッ”ってなりますもんね。(すいません。お前もどんだけしっているんだよ!って感じですが)

 

人それぞれの価値は違います。それに関してどうして私が色々といちゃもんをつけれるのか。ってつけれませんよね。ちょっと私も広い視野で物事を見れるようになってきた?のかもしれません。