ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

三日坊主で何がわるい

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僧の修業というのは朝早くからのお勤めにはじまり、規則正しい生活を送らねばならず、また食事も粗食です。つい、衝動的に頭を丸めて坊主を志した人でもその実態に触れると並大抵の心構えではとても長続きしません。こういう人は三日も立たないうちにねをあげて俗界にもどってしまうのが常です。こうしたことから“三日坊主”という言葉が生まれました*1

 

 

諸説あるかとは思いますがこういうことのようです。“三日坊主”っていうのは。思っていたイメージと違うんですよね。なんか昔の人が3日続けられなかったら頭を丸めるとかそんなような勝手なイメージでおりました私。みなさんの“三日坊主”のイメージと比べていかがでしたか?意外と皆さんは知っていたりしてね。(そうだとしたらちょっと恥ずかしいちょっと怖い所です)

 

 

皆さんはどんな時に使いますか?由来の説明に付随してあった例文にはこういう物がありました。

 

日記をつけても三日坊主、ダイエットを始めても三日坊主、寝る前の腹筋も三日坊主に終わった。僕は何をやっても駄目だなあ*2

 

私も振り返れば三日坊主だらけで自慢できます。足していったら結構な数の坊主になれそう。この三日坊主ってなんか物事が続かない事について使う場面があるのであんまり良いイメージではないのか例文にもあるように「僕は何をやっても駄目だなぁ」ってあります。なんというか、飽き性、新しいもの好き、流行好き。のようなイメージなんでしょうかね。

 

 

過去に呼んだ呼んだ本の中で“継続するには”どうしたらいいか。下記のようなことをいわれています。

 

  • 始めの1歩は小さければ小さいほどいい。
  • できないなぁと思う目標を立てるからいつまでたってもできない
  • なんのためにやるのか「目標」「動機」が曖昧
  • 続けられなくてもよしとする

 

なんて事が書かれていた。と思いました(違ったらごめんね)

 

こう書いているとマイナス部分ばかりですけどもうちょっと例文をみるとどうですかね。この人は3つの事にチャレンジしたようです。そう。3つもチャレンジしている訳ですよ。これって私からすると、いやぁ新しい事にチャレンジしていてすごいぞ!と思う訳です。この人にかけてあげる言葉としたら「いや、3つやって駄目だったかもしれないけど4つ目はうまくいくかもしれないよ」というかもしれません。

 

この人が4つ目は継続できたとしたらどうでしょう。三日坊主卒業です。「いやぁ、きみもやればできるんだよ」ということでどうやらこの人は三日坊主ではなかったようです。(ちょっとポジティブすぎかしら?)この言ってしまうと運の要素っぽいですけどね。まあ、めげずにこりずに新しい事をやってみるといいと思うのですよ。三日坊主になってしまった事は「自分には必要ない事だからそうなった」のかもしれないし、ただ「始めるタイミングが早かった、遅かった」だけかもしれないですしね。

 

ちょっと後半は強引な運び方だったかもしれませんが、三日坊主を卒業するにあたって自分を変えるのも良いですけどね、自分をかえるのはなかなか難しいので、チャレンジする方を増やしていって、たまたま続ける事ができた物を続ければそれが自分にとっての必要なものだったりするかもしれないですよって事です。

 

たくさん三日坊主になった人のチャレンジ、勢いは是非かってあげたい。そう思うのは私だけでしょうか。

*1:故事ことわざ事典より

*2:故事ことわざ事典より