ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

ひろいき

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有吉弘行さんの「弘行」のよみかたは「ひろいき」と読むのですね。何とも親御さんが酔っぱらって間違えて市役所に申請してしまったからだとか。どうでしょう。キラキラネームとかが普通になりつつある?ところでも関係なく私は間違えておりました。申し訳ありません。

 

なんとなくTVをつけていると。本当によくお見かけするようになりました。私からしたら有吉さんはヒッチハイクをしている時がちょうど小学校〜中学校のところでリアルタイムで番組は見ていました。当時は面白いなぁとかおもって見ていたのですけど大人になってから考えてみたら、すごい事をしていたのですよね。海外に言った事ある人であればなおの事すごさがわかるような気がします。

 

どこかの番組かなにかで見たのですが一度頂上、成功の位置までいって、その後一番下の所位置までいったということで。毒のある事をいわれたあいても許せてしまう事があるとか、ないとか。苦労をしているという事が目に見えてわかっていると、畏敬の念がわきます。自分が追いつめられていて、困っている時に「俺は苦労をしているんだ!大変なんだ!」といくら叫んだ所で、有吉さん以上かといわれたら、全然そんなことないですし、それが本当に甘えにすら感じます。

 

会社勤めをしていた時にも似たような経験がありました。自分のなかでどうも仕事に対して煮え切らなかったり、自信がなくなった時に。ちょうど読んだ本。

 

 

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

 

 

アウシュビッツでの出来事を書いた本を読んだときもそうでした。内容が壮絶で読み進めるのもちょっと躊躇した部分も合ったのですが、それを読み終わると・・・自分は苦労をしているとか、大変だとか。色々と思う時はあるけど、これほどではないな。実際はそんな苦労してないし、動いてもいないよな。って。自分の悩んでいたことがどんだけ小さな事だったんだろうと。

 

で。もう本を読んだ次の日は不安なんか飛び去っていました。

(ちょっとショック療法的な部分もあるかもですが。)

 

有吉さんの例にもれず。

 

「行動で示してきた人」

 

には敵いませんよね。ホントそう思います。