誰のお口へと
葡萄の剪定もいよいよ後半戦といったところ。まだまだ朝は寒く感じますが。日中はだいぶ暖かく感じる日が続いております。また、日中あまり日が当たらない畑は終わらせることができたので、あとは南向き斜面の温かい畑だけ。ずっと日が当たっているだけで指先、足先、頭先と。先という先がとっても楽チン。背中に太陽があるだけでなんと心強いことか「もうすぐ春だね」なんて言っている人も周りにちらほら。外でお仕事している私からしても、春が近いづいているのがわかります。気温だけでなく。耳からも春の足音が聞こえます。というか。鳥さんたちが賑やかに鳴いてますから。
チェーンソーでバッサバサ。結構重いです。
そうそうまだまだお仕事的には忙しくはないので、色々なセミナーやらにでておるのです。最近だと果物の輸出のセミナーやら、新規就農者に向けての就農して数年経った方のお話をきいたりなんて。
輸出をするとしたら。
果物を輸出するってどういうことかとか。そもそもどんな国に輸出されているとかいないとか。初めて知ったのですが、日本の果物の輸出量No1って不動の「りんご」なんですよね。明治やら大正やら。かなり昔から輸出をしているというのはびっくりでしたが。
あとは放射能の問題。未だに特定の5県に関しては輸出を禁止されていたり、その5県以外でも証明書やら検査証やらと。影響はまだまだ大きく。難しいのだなぁという印象。解禁されている地域も増えてきているようですが、それでも一週間以上かかる地域であったり。いくら政府が安全ですよっていっても。それは日本内での話ですから。「安全」って本当に難しいことですよね。
あとはやっぱり、各種手続き、運ぶためのコストやら。相手の国に到着するまでに多くの人、企業が関わるので。どうしても価格乗ってきてしまいます。そうして割高になった果物は誰が買うのかといえば、その国のアッパー層なんですよね。「自分が作ったものを誰に食べてもらいたいのか」という観点からみてみるとどうでしょうか。最近Netflixで見ていた「美味しんぼ」の中でも、会員制である美食倶楽部のシェフがハンバーガーを開くというエピソードの中で、美食倶楽部では会員である富裕層にしか料理を食べてもらうことができない。もっと色々なひとに自分の作った料理を届けたいという理由からハンバーガー屋を開く、なんてこともありましたから。
日本はこれから人口が減ってくるといいます。その分胃袋も減っていくということ。その反面アジアの大半の国は人口が増えていくようです。いいものを作っていれば売れるんだという人もいるけれど。その「いいもの」を食べるひと、買える人が日本にはそもそもいなくなってしまうかも・・・。こうやって未来のことを考えるだけで頭の良い運動になりますよね。
就農して数年たつと・・・
皆が共通しておっしゃっていたのは「周りの人はいつでも見ている」ってことでしょうか。はじめは色々とああだこうだ言われるけれども。草刈りやら一生懸命に畑で作業している様子を見ていくうちに信用が生まれてきて・・・。ってこれまでも、農務事務所、市役所、農業委員会、その他多くのところで言われているところですが。みな口を酸っぱくしていっていたので。当たり前の積み重ね。大事ですよね。
となんとも珍しくそれっぽいことを書いてしまいました。いつもより肩が凝るわけです。
野菜畑の方は、できる畑から寒起こしをしています。凍った土を掘ってはひっくり返していくのですが。まだまだ標高の高い畑に関しては「永久凍土かよ!」って思うくらいにカチカチ・・・いや、ガッチガチに凍っているので耕すことすらできません。スコップが普通に跳ね返りますからびっくりしてしまいます。
ジャガイモの種芋がホームセンターでもだいぶ並ぶようになってきたのをみて、去年はジャガイモを作りすぎたという嬉しい反省があるので。今年は少し控えめにして。他の芋類を植えてみようかと思ってみたり。こちらは楽しい創造しすぎて、結局たくさんとれるか、全滅するかという結果が多いので。もうちょっと植えたいな、食べたいな。と思うお野菜たちを選んで作っていけたらと思います。
ちなみに、先日野菜の雑誌でみた、三尺ささげが頭からはなれません。
登梨降静
先日、私の周りで今冬2回目の雪が降りました。この雪が降りましたというのは詳細に言えば「積もりました」ってこと。なんやかんやで数年山梨に住んでいる私ですが、雪が積もる回数は少ない気がします。あくまでも現時点では。日本海側にお住いの方々は大雪に見舞われているお話を聞くのですが。どうも実感がわきづらいところ。地球温暖化が進むと蒸発する水の量が増える分。大雨、大雪になりやすくなるという話も聞くので。なんだか確かにそうなのかもしれないなぁとも。農業に従事している方々には天候に関係してくるので、なんともいえないところでしょうか。
最近はお仕事も悪天候でなければ毎日畑に出向いて剪定の作業をしています。
「この畑の葡萄は昨年あまりよくなかったな」
「今シーズンはどんな葡萄がとれるかな」
なんて考えながら。延々と枝を切っていくので、このほかにも色々思考が広がっていくんです。だからと言って気持ちが飛んで変に枝を切ってしまうということはないのでご安心を。
過去にも同じようなことを書いている気もしますが、結局いろいろなことを考えた時に最終的にたどり着くのは「幸せについて」「死について」の部分でしょうか。
幸せについて
「どうしたら幸せになれるだろうか」って今までは考えていたのですけど。そうではなく「自分は幸せだ」と思うことが増えてきました。なんといいますか、探すことに意識がなくなってきたからとも言えるのかもしれません。いつも側で応援してくれる、大切にしたい愛するパートナーがいる。やりたいことである葡萄。農業を仕事にできているという奇跡。なんだかんだでこれまで生きてこれている。こうしてブログを書くことができている。だから私は恵まれていて、とっても幸せなんです。感謝することと幸せが繋がっているかのようにも感じます。
そうして幸せだと感じることができるから。もっと幸せになるにはどうしよう。パートナーをもっと幸せにするにはどうしたらいいのだろう。自分に関わる人が幸せを与えるにはどうしたらいいのだろう。って。もっともっと幸せを大きくしていくことができるんです。なんかわかった風に言えば
「自分のなかの幸せに気づくこと」
これができれば、あとはその幸せをどうやって大きくしていくか。色々方法があるのだと思うけれど。自分が幸せを感じることができれば、自分の幸せを分けるというか、与えることなんだと思うんです。なんでもそうだけれど。持っていないものは与えることができない。幸せを与えることができることは、自分のなかに幸せがあるということの裏返しになりませんか?
今、パートナーは体調を崩していて寝込んでいて。とってもとっても心配で心配でしかたなくって。ずっと気になってしまう。心配したり、心配されたりすることは実はとっても幸せなこと。想う相手がいること。繋がっているという感覚をもてていること。本当に幸せだと思います(早くよくなりますように)
死について
なんだか暗く思えるけれどそうではなくって。死を意識するというのは。時間を意識することだと思うのです。人は何をするにも生きていく上で必ず消費するものがあって。それはどんな人にも平等に与えられているもの「時間」だと思うのです。それはお金より大切なもの。死を意識して初めて時間の大切さに気づく。何をすべきかと考える。七つ習慣のなかでも「自分の葬儀」を思い描くということに触れています。それが目的を生むのだと。
そうそう。週末に私の住まいに初めて地元の友人が遊びにきました。私のおうちに来たことある人はどんな人がいるのかなぁと、指を折ってみたのですが山梨を除くと長野と東京の方くらいでして。片手で済んでしまうくらい。ん〜。私の済んでいる周辺ですと農産物といいますか。果物がおいしい季節や、お酒の新酒が出る時なんかはそれを目当てなら・・・。あとはなんだろう。そんなことを想像しながらおうちで待っていたのですが。
「いいところに住んでいるなぁ」
友人をお迎えした時にしきりに聞いた言葉。なんといいますか。私も山梨に住み始めた時は周りには自然があって。遠くには白く積もった高い山々があって。となんとも静かで良いところだなぁと感じたものですが。住んで数年経つといい意味でも悪い意味でも馴染んできてしまうのでしょうか。
「いいところに住んでいるなぁ」
と言われた時に反射的に
「そうかなぁ」「そんなことないよ」
最近は口には出して言うことは減ってきたものの、一瞬でも心に思ってしまうことが、なんだかなぁと。内側から見ているのと、外側から見ているのでは見えている景色は違うんですよね。きっと。それにしても、話の内容はいつも違うけれど、なんだかいつもと変わらず聞こえてしまう不思議な感じであっという間。少しの時間でしたが。楽しんで帰ることができたようで何より。なんとも知己と言える友人がいるのはありがたいことですね。うん。これも幸せだ。
悪友の2人
さてさて。明日からまた少し冷えそうです。お仕事している時の寒さは耐えられるけれど。曇りで風が強い日だと如何にもこうにもカラダが縮こまってしまってしかたありません。いつもながら立春のあとの寒さは厳しい気がしてなりません。
覚悟よりも動機
今日は寒かった。本当に寒かった。足先はこちこちのひえひえ。痛いくらい。山から吹き降ろす風は少しだけ出ている鼻っ柱にビュンビュンと吹いてきて、お鼻がもげるんじゃないかってくらいに吹き付けてきました。風って本当に人間の体温をうまく奪うようにできていますよね。冬に吹く風はもうやめてくれって言うくらいに辛いものだけれども。夏の暑い日差しの中で時折吹く風は恵みのように感じ、畑で汗をす〜っとひかせてくれる。季節関わらず、そよ風も強風も同じように通り過ぎていくけれど。その時々に感じる印象はだいぶ違うものですね。
今年は剪定の作業を師匠と二人で行っています。昨年の末から始まった作業は来週の半ばくらいで全体の畑の半分を終えることができそうです。剪定も四年目というところ。毎年やっているからこそ、成長している部分もあってバシバシ全体の枝の配置を考えながら切っていくことができます。それはそれで嬉しいことだけれど、どうしても好調に枝を切っていくと指に負担がかかってくるもので。調子にのってバシバシリズムよく切っていくと時折感じる「ビリビリッ」とした痛み。おうちに帰って、冷たい水でお米を研いでいるとじんじんしてたまりません。俗にいう商業病ってやつ。うまく付き合っていかねば。
そうそう。最近は新たな仲間をということで。師匠の隣にちょこんと座って。面接の席に同席することが何度か。各地域によって状況は様々かと思いますが。共通しているのはなかなか人が集まらないということでしょうか。いまは売り手市場で色々言われているけれど、景気は上向きでしょうからわざわざ農業をって言う人も見つかり辛いのかもしれません。
さて、何回か面接の場に座っていると。なんとなくですが「農業には覚悟が必要だ」と盛んにイベントやら、フェアやら、行政やら。とりあえず何度か問いかけられる意味がなんとなくわかったきました。結局何かしらの「動機」が伝わってこないと、一緒にお仕事をしようってできないなぁってことです。どんな職種も共通だと思うけれど。
農業って見た目ほど簡単じゃなくって。繁忙期にはおやすみがない時もありますし。肉体的にも結構ハードなこともあります。それでもなんで自分はぶどうに関わっているれど、楽しいんですよね単純に。好きなことを仕事にできているので続けられるんです。というか毎日の生活に入り込んでいるので続けているという意識もだいぶなくなってきている感じ。数十キロのコンテナを何回も往復して運ぶのは結構力がいるけれど。それが嫌でやめようとは思わないし。雨がカッパの中に入り込んで気持ち悪い。けれどやめようとは思わない。
「なんで◯◯を栽培したいのですか」「どうして◯◯の仕事をやろうと思ったのですか」って結構重要な問いかけであって。私からすると「なんでぶどうなんですか」って。やっぱり動機ってとっても大事。
地元の方であれば・・・
- 周囲が果樹の畑に囲まれているしやってみたい。
- 親が農業をやっていて
- 周りの耕作放棄地をなんとかしたい。
なんてそんな動機もあるかもしれません。
動機ってなんでもいいとは思うのだけれど。面接の場で動機を問いかけしてみると。ぼんやりとした動機すら持っていない方が意外に多くてびっくりしたんですよね。
- 「生活のため」っていわれても、他にもっと割のよい仕事もあるわけですし。
- 「大変でも大丈夫です」「力仕事も大丈夫です」「・・・も大丈夫です」って全部大丈夫って言われてしまうと。本当に大丈夫かしらって。尚且つ結局受け身であって、ただ耐えられるっことなので。自ら判断できるのだろうか?
なんか色々偉そうに言っているけれど。自分はどうだったか。思い返してみると農業をやりたいというのはあったらしい。専門の友達には「農業やりたいんだよね〜」ってしきりに漏らしていたようですし。社会人になってからは「俺は自分でワインをつくるよ」って、いつも酔っ払いながらもっともっと偉そうに周囲に言いふらしていたようですし。経緯はどうであれ自分にはぼんやりでも動機があったことが幸いして。今の状況にいるようです。
そのぼんやりとしていた動機でも。なんだかんだで想像していたことが現実になってきているような気がします。自分が必要な時に機会が訪れている気がしますし。なんどか壁みたいなものやってくる。そしてその壁も結構高いやつが急にそびえ立ったりする。私は優柔不断で頭がよくないので。どうすんだよこれって、もぞもぞしていると「ラッキー!こっちからいけるじゃん!」って抜け道を発見したりもしますから。
今まではなんだか自分目線でしかなかったけれど。面接の場に一緒に座っているだけで。なんだか自分って意外と動機はある方だったかも?って思えてきて。ほんのちょっぴりだけど。勝手にそう思い込んで変な自信が湧いてきちゃったぞ。どうしようって話でした。
防寒対策はしっかり!
まだまだ寒気が流れ込んできているようで。冷え性な私には辛い時期。指も痛いし、足も寒いよりか痛いし。お腹冷えるし。お鼻がかぴかぴになるけれど。じっと畑で枝をもくもくと剪定するのも幸せなことですよね。今季のぶどうがたわわに実っているところを想像しながら明日以降も畑でいつもどうりのんびり作業をしたいと思います。
くるまの下
いやぁ。暖かい。こんなに暖かい日が続くとぶどうたちが目覚めてしまって、水が上がってしまうんじゃないか。なんて師匠と少しばかし心配だねって。ある一定の気温が続くと休眠打破ってことで冬の眠りから覚めるのですけれど。木の一部だけ目覚めてしまって、また寒い日が続いてなんて繰り返してしまうと、芽吹きが揃わないこともあるとかないとか。寒いより、暖かい方がありがたいけれど。もう少しこの季節らしい天候が続くと嬉しいところです。私が熟睡している時に起こされて、そこから寝付けないところを想像するといやですもんね。
さて、今回は車検のために山を降りてきました。
別に帰って来なくても現地で車検やらやればいいのにって、いわれるけれど。いつも見てくれる担当の方やら、いつもよくしていただいているので。やっぱり帰ってきてみてもらった方が気持ちのいいものです。それに加えて多少大きな部品交換ももあったり、年間でなかなかの距離を走るので、安心して乗れるのが私にとっては一番重要なことなようです。
と。それに加えて、いつも私の車の担当者の方といつもお話のするのですが、それがとってもありがたいことで。自分は狭い世界にいる分、他のお仕事をされている人する機会は貴重なんです。
最近の軽自動車は高くなった?
昔と比べて厳しくなる基準、それに伴う装備。軽自動車だからと言えない安全性の意識の変化。ひと昔前にはなかったものがどんどん搭載されてとのことで。結局のところ消費者さんの欲しいものをどんどん叶えていったら、そりゃあコストも上がってくるよね。そんな印象を受けました。じゃあそのコストが上がったところをどう削減していくか。車に使用されているどんな部品でも削減する努力はしている・・・けれども販売価格は上げることができない。ってこんなのは繰り返されていることでしょうし。他にもいろいろな要因があるとは思いますが、手に入れた便利、安全は手放せない。そこから前には戻れないのだなぁと感じました。
スライドドアがやっぱりいい。
前に乗っていたのが家族みんなが乗れる大きな車でスライドドアだった。
子供と孫を乗せてお出かけをするから。
って本当に増えましたよね。スライドドア。
自分のお子さんが成人して自立すると。残るのは大きなお家と大きな車ってことなんでしょうか。
お客さんの年齢層の変化
いつもお願いしているディーラーさんの支店は静岡の街のはずれの住宅街で比較的古い建屋も多くご高齢の方々が住まわれている地域にあるんです。支店長さんは他の支店から移動してきて半年ちょっと。お客さんのところへ仕事で車を走らせたりしていく中で、街の様子を観察していると例にもれず空き家が思ったより多くあると。また一軒家におじいちゃん、おばあちゃんが一人で住んでいることが多くてびっくりと。中には80歳以上の方が一人で運転してきて。これは一人でおうちにおかえししていいのかなという例もあるとか。
なんといいますか、私がお仕事をしている地域ではご高齢の方が元気に軽トラックを運転しているので、危なっかしいとかあまり感じないし、普通にみえるのですけれど。車の運転の頻度が全然違うので。なかなか難しい部分もあるのかもしれませんね。
だいたい、学生から就職への変化の時に。車を買うっていうような流れはほとんどないと。40歳前後の方のボリュームが増えているような気がしますとのこと。
ある一部の地域のお話だけれども。なんだかどこかで似たような話を聞いたことをある。年齢各歳別人口が変化するだけで色々な問題が起きてくる。少子高齢化って当たり前のように言っているけれど。どんな場所にも否応なく影響を与えているかのようです。
よっぽど過疎だ過疎だって言っている地域の方が実は大丈夫な気がしてしまうのは私だけでしょうか。
車検から戻ってきた明細をしげしげと眺めると、なんとも今回は部品の交換が多くて思った以上にかかってしまったなぁという印象。その中で車に乗り始めてから初めてだったのが
下回り防錆塗装
なんだこれって。融雪剤である塩化カルシウムの影響か!って。当たり前に思われそうだけれど。やっぱり雪が降る地域を走る車になったのねって。なんだか感慨深いものがありました。明日は降雪の話もあるようですし。久々の雪に舞い上がらず。安全運転を心がけたいと思います。
そうそう。実家の庭の金柑をうちのおじじちゃんが収穫していて。
「欲しいなら持って行っていいぞ」と。
おばばちゃんはよく金柑を煮てくれて、そのシロップをお湯割りにして飲んだことがあるのですが。なんとも香りが良くて酸味もそれほどきつくなく。柑橘大好きな私にはよだれものなのですが。おじじちゃんはそこまで好きではなく。使い道がないとのことなので、ありがたく収穫してあった実を全部頂戴してきました。シロップにしようか。お酒につけようか。そんなことを思いながら眠りにつこうと思います。
みずたまもよう
今日は風も少なく。なんだかポカポカ日和。大寒波がくる。大雪が降るかもしれない。そんなことを聞くたびに身構えたりするのですが。私の住んで居る山梨の地域はぜんぜんそんなことを感じさせないくらいの晴天が続いておりました。地元の友達には雪が降るから大変だね〜って言われるけれど。ぜんぜんそんなことはなくって。そりゃあ温暖な静岡に比べれば寒いのだろうけれど。山梨も一部地域を除けばそんなに雪って降らないんだよね。数年住んでる私の感覚ではあるけれど。
だから山梨から北へ向かうと。途端に心配になるんです。雪が積もっていないかな。道路は凍っていないかなって。強い気持ち半分にワクワクが半分。日曜日は朝から車を走らせて松本までビュビュンと。山梨を抜けた県境から路肩に白いものが見えた瞬間からなんだか嬉しい気持ちに。つい最近まで雪って富士山の上に積もるもので、普段の生活とは縁遠いもので尚更に。
松本。寒い場所を避けるように。室内へ屋内へって感じで動きまして。今回はパートナーと一緒に初めてこちらに伺ったんです。
なんだかね。見たことあるような水玉模様。自分の周りでも多くの人が記念撮影していた、見たことない品種の大きなイエロー&ブラックのかぼちゃさん。私は少しばかしお名前を伺ったことあったり、テレビで見かけたことがあった草間彌生さんの作品たち。本人の見た目と相まって、なんだかすごい人なんだなぁとだけ。
赤と黒で書かれた水玉の絵のキャンバスを2段で数枚繋げてある作品があったんですよね。しばらくソファーに座って、じーっと見ているのだけれど。しばらくすると動いているように感じるんですよね。そのなかになんだか吸い込まれていきそうになったり。つなぎ合わせている間から何か湧き出てくるような。もしこれがずっと見えていたら。そのなかに自分が囚われていたら・・・。
幼い頃から悩まされていた幻覚や幻聴から逃れるために、それらの幻覚・幻聴を絵にし始めた。
総合失調症というものには詳しくないし、認識が違っているかもだけれど。この説明を見た時になんだか色々と感じることがあって。その中でも特に「絵にし始めた」っていうところ。とってもヒントがあると思うんですよね。多くの人が不安や悩みなどと普段付き合っていると思うけれど。結局のところそのほとんどが「よくわからない」「つかみどころない」から生まれてくるものがほどんどだと思うんです。
- 不安や悩みを頭の中から、外へ出すことができたなら。
- 絵に描くことができたなら。
- 文字にすることができたなら。
ああ・・・私はここに悩んでいたんだって。そう気づけることもあると思うんです。
草間さんが昔今を比べて、どんな気持ちで絵を製作しているのか。それは当人にしかわからないことだけれど。もしかすると絵を描いている時、筆を動かしている時には目の前の絵に集中しているので逃げることを忘れているかもしれない。もしかすると書きあげた後には安堵の気持ちでいるかもしれない。
自分のなかにあるものを表現すること。大切だなぁと。
その後は、なんだかんだでお店でいただいたことがなかった、山賊焼きを食べに行ったり、古い蔵をリノベしたカフェでのんびりしたり。なんだかちょうど松本あめ市なるイベントをやっていたりして。縁日にお出かけしているようでなんだか楽しい気持ちになりました。
カフェで読書をしながら、コーヒーを待つ。
そうそう。その前日は実はこっそりと新年会だったんです。私の住んで居る場所にはありがたいことにワインの栽培、醸造に関わっていながら、同年代ということで親しくさせていただいている仲間がおります。その中のメンバーのお宅やら、私のおうちでやらで定期的に集まって、各自ワインやフードを持ち寄っては今年のブドウの生育はどうだとか、採れたぶどうどうだったとか。栽培やら醸造やらの談義で盛り上がっております。
フジマルさんの「vin-shu」
いつもワインを持ち寄っていただいていて(本当に感謝しております)その年どしのビンテージのワインを同じ時期に飲んでいると。毎年安定しているなぁ。これは去年と比べてとっても美味しくなっている。なんだか香りがぜんぜん違うね。なんて一丁前に言えるようになってきたり。飲み始めた時はまだまだ出来たばかりのワイナリーさんでも、数年たっていくと個性を感じられたりして。ワイナリーさんの成長とともに、飲み手のほうも成長させてもらっているような気がして。なんだか嬉しくなるものです。
静岡から出てきた時には、仕事関係以外での付き合いが全くなくって。だからこそいろいろなところにお出かけしたり、遠出したりしてそれはそれで多くのつながりができたけれど。近くにいる友人はまたいいですよね。気軽にというか、気兼ねがないといいますか。普段顔を合わせていなくて、近くで頑張っている人がいるのがわかるだけで。自分ももっと頑張らないとな。成長しなければ。そんな気概も生まれてくるんです。なかなか普段お礼は言えないけれど。とても感謝しています。ありがとう。
お腹いっぱいなところに、寒空の中歩きで無理やりコンビニ連れて行って、カップラーメン大盛りを買わせてしまってゴメンなさい。これからもよろしくどうぞ。
伸ばした手をさっと戻す
おっと。そろそろお家の大根がなくなってきたら帰りに畑へ寄らなければ・・・。日が暮れる前にさっと抜いて帰ろう。ん。おかしいな。なかなか抜けない。なんでだろう。おかしいな。う〜んう〜ん。抜けない。
なんでだろうと株元と見てみると周囲の土がコッチコチに凍っているようで抜けないようです。それならば!とスコップを用意してきて株元から少し離れたところ目掛けて刃を向けてみます。
「ガチッ」
ってぜんぜん掘れる気がしない。困ったなぁ。日が当たっているところなら・・・。お〜。ようやくスコップが入った入った。そうして無事に大根を収穫して家路につくことができました。先日降った雨は見事に土と一緒に凍っているようで、野菜を抜くにも一苦労。
聖護院大根。畑に残る貴重なお野菜。
今日はちょうど畑で作業している時に「この前もらった大根美味しかったよ〜」って話から、「今は野菜が高くてぜんぜん買う気にならないよ」って話になって。あとで調べてみると確かに野菜高騰のニュースが世間を賑わしているようです。確かに地元に帰って買い出しに行った時も皆口々に話してた気がしますし。いつものように野菜を手を伸ばしてから値札を見て。しずかに手を戻したことが何度か。
「野菜が高すぎて買えない」
「価格あげすぎじゃないのか」
「救世主が売り切れで買えなかった」(きっともやし)
「きのこを食べよう」
なんて。
さらに調べてみると。主なもので白菜、キャベツ、レタスなどの結球する野菜たち。そに加えて大根とか。葉物野菜なんか前年比2倍。もしくはそれ以上に価格が高騰しているようです。確かにそれだと高い気がするなぁと思いつつ。それもしょうがないなぁと思って見ていました。自然相手のことですし。実際に野菜を作っていることもあって。きっと消費者さんより農家さんの方が大変だと思いますから。
鍋が高級料理・・・。鍋をやらないってことは鍋のスープも売れないのかな。いや。しかし変わり種のトマト鍋なら売れるかな?ああしらたきも、マロニーちゃんはどうなるのだろう・・・。となるとガスコンロのボンベも消費が減るのかも・・・。なんて良くないことばかりに思考が向かいます。
冒頭に大根採れたぜ!やったぜ〜!うらやましいだろ〜!
的に載せているように思われますが。
順調に生育して収穫を迎えることができたのは実は大根類だけなんです。他の野菜たちは軒並み生育が遅れてしまい。収穫にたどり着くことができませんでした。というか収穫できる見込みがありません。ちなみにどんな野菜があるかといえば・・・。
・山東菜
・体菜
・ほうれん草
・小松菜
・キャベツ
もしかしたら冬をなんとかもち越してくれるか・・・と淡い期待が
・サニーレタス
ちょっと心配。いつもより収量がおちてしまうかも。
・玉ねぎ
・にんにく
と。例に漏れず。結球系のお野菜はお試しで植えた4株の白菜を除いてほぼほぼ収穫できずじまい。9月の頭に意気揚々と蒔いたロメインレタスなんて。わざわざ種を取り寄せちゃったりして。マルチも引いて万全の体制で臨んだのですが・・・ん〜悲しい。たまねぎは種から蒔いて、自分で育苗してから植え替えるのですが。植え替えの時期にぜんぜん大きく揃わず。いつもより種を多く蒔いたのに加え、結局市販の苗を購入するという有様でして・・・。全くもって天候にはかないません。ものすごく楽しみにしていたんですが・・・。
こう野菜高騰のニュースを見ていると。いつも野菜が普通に購入できていることや、価格が安定しているのが当たり前のように感じるけれど。スーパーで売っている野菜とかありえないほど形と色が揃っているし。なんともすごいなぁと。それがこんな安くて大丈夫かなぁと。ついつい考えてしまいます。
年々、農業従事者って減っている話をよく聞きます。それ以上に新規就農者が増えているってことも時々聞くこともあります。仮に新規就農者の方が増えたとして。消費者の方々が望む種類の作物を作る人がいるのかどうか。
私見でいえばですが。自分がもし畑に種を蒔くなら、苗を植えるなら?と考えてみると。栽培するのが簡単、もしくはスーパーで購入すると高いもの。それらを選んで植えている気がします(売っていない野菜。おもしろうそうな野菜もたくさん植えちゃってますがw)単純に自分が作るとして、いつも価格が比較的安価な野菜は労力・時間に対して見合わないのでなかなか手が出ません。
と。ぶどう栽培から野菜まで。関わるようになってくると随分視点も変わるものです。歳を重ねるごとに、自分の肌に黒くのこる日焼けの跡とともに、頭のなかも農家っぽさが増している気がしてなりません。
わかったふりのひと
なんだか最近は暖かい。時折吹く風も。背中に感じる日差しの暖かさを吹き飛ばすほどではないようで。心地よく畑でお仕事ができています。意外と友人たちはには寒くて大変だね〜。頑張ってね。って言われることって季節柄多いのですけれど。寒い寒いというほどではないようです。って私の体感でしかないのですけれど。しかし年々体が山梨の気候に順応してきているようで。気持ちよく過ごせるようになってきているのかもしれませんね。
さて。今日はお仕事終わりに。軽くお家で軽く腹ごしらえをしてから。お誘いをいただいていたセミナーに参加してきました。
「ものくろぼっくす」ブログコーチであなたの人生をサポートするものくろの考えていることを書いているブログ
↑ 今回の講師の大東(おおひがし)さんのブログ ↑
実際に参加してみて。普段利用しているなかで、わかっているつもりだったのですが意外と自分は知らないで利用してことが多いな。実は良かれと思って投稿していることが、逆に働いているかもしれない。と気づきが満載で。ふむふむ。と頷きながらお話しを聞いておりました。
これまでイベントいうか。講習やら、セミナーやら。色々なジャンルでお邪魔したことがあったのだけれど。SNSを扱うセミナーって参加したことなかったんですよね。それってなぜかといえば。
「普段使っているから、わかっているよ」
「自分は一応デザインとかしてたし、販促のお仕事もしていたから大丈夫」
「きっと初心者向けで、役に立たないことばかりのほうが多いのではないか」
・・・。
と自分には必要ないのではないかという気持ちがあったのです。
しかしですね。わかっているつもりということが。とにかく一番私の至らないことだとようやく気づきはじめたこともあり。
「自分は理解せずに使っている」
「デザインの仕事をしていたのは数年前。古い技術と情報にしがみついていないか」
「一からもう一度学びなおしてみよう。疑問を聞いてみよう。」
そんなふうに、反対の視点をもってのぞみました。
そうしてみると、面白いことに話を聞く姿勢もかわりますし。なによりも自分がわかってふりで聞いていたらきっと「ふ〜ん」で終わってしまっていたであろう部分もしっかりと取り入れることができました(と信じたい)
個人的にFBで一番「お〜!そうだったのか」と思った部分は。
「毎日なんども、なんども投稿していたらしつこいのではないだろうか」
と思っていたことが。実はFBの中で、うま〜く良くも悪くも調整されているようで、投稿した全てがそのまま自分のフォロワーさんのウォールに流れるわけではないということ。ぜんぜん。ぜ〜んぜんしつこくなかった。心配する必要がなかったと。前に自分のこまめに投稿している時期があって「ちょっと自分は投稿しすぎかな」と一度思ってしまった時から、控えめに控えめに投稿するようになっていたのですが、そんなに心配する必要はないんだ!とわかったので。もう少しうまくFBと付き合うことができそうです。
その後の懇親会でも。幾つか聞きたいなぁと思っていたことも。失礼ながら根掘り葉ほり聞くことができまして。なんとも頭のもやもやがすっきりして。今日は気持ちよく寝ることができそうです。かる〜くお酒の入っていますし。
結局のところ私は。
「自分は特別だ」
「普通の人よりはすぐれている」
自分は過大評価して。上から見ているつもりが、階段を一段上がっただけで高い位置にいると思い込んで・・・実は小さな地面に立っている私から見えるだけの、狭い狭い視野からの考えに凝り固まっているんだ自分は。全然ダメなんだ・・・自分は。意気地なし、肝が小さい・・・。
しかし私の今年のテーマは「地頭力」
そもそも本当に自分はわかっているのだろうか。そこからスタートすることから。そんなに前述ほど深刻には考えてはいないのですが疑いを持つことはとても大切だと感じることもできて。良い気づきを得ることができました。
と。ブログを書いているうちにお風呂が沸いていると思うので。ゆっくり温まったら、横になろうと思います。
・・・。
って。まだぬるま湯だ・・・。お湯がでるって本当に羨ましい。