ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

わからないゆえの楽しみ

だいぶ冷え込んできましたね。明け方と、日が陰りはじめる16時以降は手袋をしてお仕事をしておるのですが、おててと足先が冷たくなってしまってどうしようもないです。ここしばらくは、葡萄ばたけに堆肥をまくやら、雨よけのビニールの取り外しに勤しんでおります。

 

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秋の色はだんだんと朽ち色に

 

 

おうちでは扇風機さんさようなら。ストーブさんいらっしゃい。お湯を沸かすにも、お鍋をあつあつのままに楽しめるのもストーブさまさま。今年はたくさん根菜類を育てているので。ことこと、じっくり。ほろほろ、あつあつな感じで・・・って。想像しただけで舌べらを火傷しそうです。もちろん美味しいのだろうけれど。

 

 

そうそう。農閑期に入ってきたこともあり、春から受講している講習会の数も増えてきています。これがまた農務事務所、農学校、農業センターで受けるのですが。なんとも面白いのですよね。わたしの生い立ちには、農業と関わる機会はなかなかないので。土地もないし、土を触る機会が全然なくって。きっと農家さんや、兼業農家さんの生まれや、近くにそういった環境で育った方なら当たり前のことでもわたしにはとっても新鮮に見えるんですよね。

 

葡萄やら野菜の栽培に関わっているわけだけれども。葉っぱをたくさん虫に食われたり、獣に踏まれて若葉が折れてしまったりしてちょっと悲しい気持ちになったり。時々葉っぱが黄色くなったり、赤くなったり。斑点がでたり。なんでこうなるのかがわからないんです。農家さんに尋ねてみたり、同じ作物を栽培されている人に聞いてみたりして相談したりする。それでもなんかイマイチピンと来ない。

 

そんなところに、前述の研修で、土作りの話があって。作物が育つために必要な栄養素の話ですごく納得したりする。

 

窒素

リン

カリウム

カルシウム

マグネシウム

 

これらは作物のカラダを作るための多少要素であり。特に重要なもののようです。これらの成分は特に欠乏(足りなくなる)と成長に支障が出やすいようです。良くわからないながらも。わたしの周囲の人たちは。「鶏ふんと苦土石灰をまけばいいよ」って教えてもらっていたのだけれど。

 

鶏糞は「窒素」「リン」カリウム

苦土石灰「カルシウム」「マグネシウム

 

これらを補給するための肥料だったりしたんですね。

 

ほかに作物によっては、鉄、ホウ素、ケイ素。その他の微量要素が不足しやすいなど。その土地どちの地質によって変わってくるとか。

 

そうして今度は、病気になりやすい環境を知ったりする。なるほどそうなのねって思って。必須成分が欠乏したときにでる症状は、作物のカラダの中を移動しやすい栄養素は下の葉に。移動しにくい栄養素は新芽に影響がでやすいと。とっても分かりやすかった。その後に元素記号やらを示しながら、化学式を出してきっと分かりやすく説明をしてくれているのだけれど。全くもってわからなくてこんがらがってしまう。ここでなんだから化学をまなべる「普通高校」に進学していたら、勉強していたのかもって思ったりする(工業高校なんですわたし。電気やら機械やら)

 

あの時学べていたら・・・そんなことを思いながら。わかった、わからないを繰り返している。

 

だからと言って、後悔があったとか。なかったとかそういう話ではなくて。自分に今必要だから学ぶ機会を与えてもらっているんだと思うんですよね。きっと今のわからないというのと、学生のときのわからないということとはあきらかに違うことがあって。きっと学生の頃に化学を学んでいても「将来何の役に立つのだろう」って。おもっていたかもしれません。だから今なんですよね。

 

 

唯一ありがたいなぁと思うのは。学生の時つらかった勉強というのは。今のわたしにとって苦痛でなくったということです(特に英語)わからなくても苦しくないし、辛くない。わからないことってありがたいことなのかなって思うのです。

 

「ああ、またわからないや」

「これはどういうことなのかな」

 

新しい課題を与えてくれているんです。どうにもならないことも。どうにもならないことを経験させてくれている。うまくいかないのはもうちょっと試行錯誤して見なさいって。そう思えるとわからないことに直面したときに素直に「わからないです」「おしえていただけませんか」って。そのように言えなくなると、その時点で成長が止まってしまうっていう意味もなんとなく。きっとわたしの得意に「知ったかぶり」はここからきているよなぁと。

 

生き方―人間として一番大切なこと

生き方―人間として一番大切なこと

 

 

稲盛和夫さんの著書にもこのようなことが書いてあります。

 

もうダメだと思ったときが実は始まりで、そういうときはいったん冷静な気持ちに戻って、もう一度今いる場所から周囲を観察し直してみることです。

 

できないことがあったとしても、それは今の自分にできないだけであって将来の自分になら可能であると未来進行形で考えることが大切です。まだ発揮されていない力が眠っていると信じるべきなのです。

 

わたしの場合は。もうダメだと思ったときの逃げ腰から解消していければ。

 

土の話って。果てしない。自然のサイクルを学べているからなのでしょうか。とっても学んだことが「自然」に染み込むようです。なんだか不自然な言い回しだけれど。

紅葉と収穫祭とで

ぶどうは収穫が終わり。のんびりした時間が過ぎています。ぼちぼち始まったお仕事は来年に向けての肥料まきの準備をしております。一週間ごとにやってきた台風の影響もあっておうちに籠もる日々が続いておりましたが。ようやくすっきりした秋晴れが広がるようなり。お日様ポカポカ。気持ちの良い秋を感じながら過ごしております。秋の紅葉を楽しむべく、温泉につかってのんびりしたり、お野菜のお世話をしたり。しばらくできなかったことをちゃくちゃくと。ココロとカラダの静養ができています。

 

週のはじめは紅葉に染まった長野のとある温泉街へと足を伸ばしました。台風が本州近くにきていることもあって、雨模様でしたが。清流が流れる脇を黄緑、黄、朱色に染まった木々。その中から湯けむりに混じって硫黄の香りがのぼってきて。それだけでなんだかとってものんびり穏やかな心持ちに。正直にいうと、紅葉が綺麗だなぁ、いいなぁと思うようになったのはここ最近のことで。年を重ねれば重ねるほどに情緒を感じるようです。

 

台風の影響で雨がザーザーだったので最後まで見る事が出来なかったのですが。戸隠神社。その奥社への参道はなんだかとっても神秘的。雨の中霧が立ち込めていて周囲から何かが見ているような気がしてなりません。参道にそって私たち人間の往来をずっと見守ってきたであろう木々がまっすぐ立ち並んでいるのですが、ここまで大きく太くなるのにはどれぐらいの年月を経てきたのだろうかと。それを想像するだけでもなんだか胸が熱くなるようです。

 

もう一度。季節が変わった頃に最後まで歩いてみたいなぁと。また来年もこうしてのんびり過ごしてみたいなって。パートナーと2人で再訪できることを楽しみに祈っています。

 

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さて、いつのまにか11月に入っているようで。年の初めの1月が過ぎても早いですね。4月になってもう四半期が、 6月が過ぎると半期が、夏が終わると一気に年の瀬まで。いつになっても早い早い。これからもっと早い早い。延々と早い早いとついつい口に出してしまいそうな自分が想像できてこわいこわい。

 

 

そうそう昨日は畑でたくさん野菜をとってきて、小さな収穫祭をしたんです。夏の終わりに種まきをした野菜たちがぷくぷく、土の中からこんにちは。大蔵大根、北京紅芯大根、ほうれん草、かぶ、さつまいも、さつまいもの蔓、ごぼう、春菊、パセリともりだくさん。収穫して持ち帰っては、豊作だ〜嬉しいね〜って。幸せな気分になりながらも。やっぱり一度に調理しきれず、食べきれず。テーブルには溢れんばかりのお野菜たちに囲まれ。まさに実りの秋を実感できています。

 

 

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実りの秋。

 

 

実りの秋って言葉はきっと小学校の時に。お米やら、さつまいもやら。学校の行事に収穫祭と称して、全校生徒で自分たちで作ったものを、計画して、調理して、楽しんで作った記憶から定着したように思えて、なんとなく秋に収穫できるものが多いからかなぁと思っておりましたが。ささっと調べてみると。日本人の主食である「お米」の収穫時期が秋であるということからというものだったり、そもそも稲作が始まるより前の人は自然の恵みとしてどんぐりなどの「木の実」が秋に食べることができるからと。様々な説があるようです。

 

 

ぶどうを生業にしている私としては、大いに実感する部分でもあります。ぶどうはまさに秋の果物ですから。20日で収穫できるという二十日大根から、植えてからその年には収穫できないすることができない野菜もあり。それぞれに種を蒔いてからすぐに収穫できるものとそうでないものとあるのです。桃栗三年柿八年と。果樹に至っては待つ時間の方が長いものまで。収穫に至るプロセスが長ければ長いほど、手をかけなければいけないし。収穫できた時の感謝の気持ちもひとしおかなって。

 

 

果樹は新しい苗木を植えてと、一からスタートすると収穫に至るまではとても年月がかかります。だからこそ大変だとか、無理だとかいわれる場面も多いのですけれど。待つことって一種の楽しみととらえたらまた変わってくるんですよね。私の好きな時代小説には長い年月修行に明け暮れてとか、下働きを数年してのちに〜。大店の主人になったとか、剣術の道場の主になるとか。周囲はそれを時に「我慢」と見える事があるけれど。じっと時を待てる事というのは、将来を信じることでもあると思うし。希望の表れでもあると思うのです。

 

三年。八年。何かを成し遂げようとチャレンジすることには腰が引けているのに、ずるずるといつの間にか時を消費している自分がいるようで。なんとも恥ずかしいのですけど。自分はいまどこの時点にいるのか。

 

 

だ種をまくところを探しているのか

もう種を蒔いたのかな

お水をしっかりあげているのかな

ちゃんと成長はしているかな

つぼみはついたかな。

 

・・・・

 

植物の経過をみていくだけでも。自らを省みる材料になっています。少なくとも私は。

 

 

今は様々な分野で技術革新が毎日のように起きていて、それについて追っていくことはわくわくが溢れているようです。じっくり毎日を大切に過ごして、収穫の時を腰を据えて待つのも。それはそれでまた楽しいことなのかもしれません。

 

 

さて。収穫祭で食べたサツマイモやらカボチャやら、ゴボウやら。ぎゅるぎゅる、ごろごろ。どうやらお腹にガスが溜まるようです。風船が膨らむようにぽっこりとお腹が膨らんでは抜けて。膨らんでは抜けてと世話しないので(下世話な話ですみません)恥ずかしくてお外にでれないのですが。これも含めて秋の醍醐味なのかもしれませんよ。

ほんのりふりかえり。

今シーズンのぶどうの収穫が先日無事に終えることができました。前回書いたのが一ヶ月とちょっと前。ぶどうの収穫が始まる頃。そして今日が収穫が終わった数日後。ということで。一ヶ月とちょっとですか。春のから駆け足で、ぶどうと追いかけっこをしていたら、あっという間に収穫を終えてしまったような。そんなシーズンでした。自分の野菜畑も広げてしまったので、野菜畑 → 葡萄畑 → 野菜畑 というような形となり、暗いうちにお家をでて、暗くなったら帰ってくる。となんとも健康的な生活ができて。新しい野菜も盛りだくさん。これまでで一番畑と接する時間がながかったかもしれません。

 

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今期一番のピオーネ。

 

 

また、新規就農者の研修も紹介してもらって、月に1、2回程度参加させてもらえることになったので、こっそり参加していてですね。そちらのほうも前期が終了ということになりました。これまでは果樹の基礎知識やら、野菜の土作りについてだとか。それにコミュニケーションについての実習やら。CTIの認定の講師がいらしていて。なんだかワークをいくつか行ったのですが、なんだか若かりし二十代半ばに色々参加していたことを思い出しました。

 

近況はこんな感じ。とりあえず、しばしの休息となります。

 

 

少しだけ。今年は農作業を通じて色々と思うところがあったので。少しだけまとめてみたいと思います。

 

 

「気をつけてね」「注意してね」

 

 

一度は誰かにかけたことのある言葉ではないでしょうか。しかしこの言葉をかけたのちにその「気をつけてほしいこと」「注意して欲しいこと」が実際に起きてしまった場合どうでしょうか。

 

「あれほどさっき気をつけろっていったのに」

 

この流れありませんか。もちろんですが、私は何度もあります。

 

 

 

何事もそうなのですが。ある作業を始めてする方に対して教えるというのは大変むつかしいんだろうなぁと。何度か教えた作業に対して、及第点まで持っていけない場合を何度か見かけることがあったのですが、その場面でなんどか「ん〜。それはちょっと・・・」ということがあったんですよね。

 

「何度もいってるよね」

「さっき言ったよね」

「ちゃんと聞いていないとダメだよ」

 

この言葉を聞くとなんだかなぁ〜って思うわけですよね。

ただただ教えを受ける側の問題になってしまっているのです。

もちろんその場合もあるともは思いますが。

 

「教え方に問題があるかもしれない」

「説明の仕方がわかりにくい」

「もしかしたら、受け取られ方が異なっているのかもしれない」

 

教える側をみてみるとこういうこともあるかもしれません。結局教えが完璧すぎて、付け入る隙がない。そうすると教えたことほころびがでないように、それに固執してしまう。そうすると「私は間違っていない」という風に。教えているはずなのに、自分を守るための方便になってしまう。実は教える人はよく見られています。行動をすべてよく見ています。「あの時こう言った」って。悪い部分を見つけることがうまくなってしまう。相手に問題があるようなそぶりが見えてしまうと、それは跳ね返ってくるんです。「あなたにも問題があるじゃないか」それほど、見られるようになってしまいます。行動に一貫性がないとなおさらに。。

 

 

これにプラスして「語気を強める・荒げる」「ぐちぐちいう」なんてことが重なってくると、どんどんやる気を失います。とまあ、これは私自身の経験なのですが。なかなか前職ではなんとも力不足でよく大きな声で社長からご指導をいただいていて、周囲の方に大変気を使っていただいてとても助けていただいた経験があるのですが。私の場合は最終的には萎縮しちゃったのですよね。そうして、これが積み重なっていくと「こうなると怒られる」「何も話さないほうがいい」と結局、何事にも言われたことだけをやる。そんな具合の悪循環。一番成長したのは社長の気配を感じること。足音でわかりましたから。今思えばなんとも冷や汗ものなのですが。

 

 

人生で私たちが大切にしているものを達成できなければ、時間管理をどんなにうまくやっていたとしても意味がない。

 

最近あるオーディオブックを聞いているんです。

  

TQ―心の安らぎを発見する時間管理の探究

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コントロールできることを、コントロールできないと思っている。

コントロールできないことを、コントロールできると思っている。

 

 

うん。なんだか。ね。

 

 

 

年内にあと何をしよう

 

ぶどう関連では、雨よけのビニールの撤去、草刈り・肥料まき、粗切り剪定と言ったところ。

 

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野菜畑にもせいを出そう。

 

 

野菜畑では、年内に残りのサツマイモの収穫。菜花系の種まき、白ネギ、玉ねぎ、にんにくの定植。葉物野菜が一巡したので。もう一度ほうれん草、小松菜などを植えようかなとこっそり。あとは生姜の収穫のタイミングが全くわからないので。どうしようかしらってそんなところ。

 

あとは、空いた時間で少しはお出かけをほんのり計画を。忙しい合間を縫って、支えてくれたパートナーにも少しでもお返しができれば。それにしても本当にお出かけをしなくなってしまいました。ちょっとは出向かなければと。ここしばらく内向きの志向は働きすぎて、なんとも自分探しの天才にはなったと自負しているのですが、探し回るだけで結局見つからず、もう飽きてきたので。そろそろ違うことを見つけられれば。

扱いづらいやつ

急に夜が肌寒くなってきましたね。毎日扇風機をまわしっぱなし、換気扇をまわしっぱなし。窓は年中開きっぱなし。どうしたら部屋にこもった湿気を追い出せるかと。冷房設備のない私は格闘しているわけですが、どうしたことか。昨夜は寒い寒い。なんだか急に秋めいてしまった感じでした。毎年自分の周囲を見渡してみると夏の終わりの寂しさを感じることが多いのだけれど、めっきり寒さよりも暑さの方がカラダには厳しいようで。ようやく過ごしやすい季節がやってきたなぁとワクワクしております。秋生まれというのもあるのかもしれませんが。

 

 

そうそう私の地域でもようやくぶどうの出荷が始まります。今年はぶどうのお芽めが出るのも遅くて、例年より遅れていた物がそのまま尾を引いてここまで来てしまった感じでスローな感じ。梅雨後はめっきり太陽を拝める日が少なくてやきもきしておりましたが、天気もようやく回復して良い感じにぶどうも熟していくことでしょう。またそう推移していることを祈っております。

 

 

野菜畑には、ようやく秋蒔きを開始。葉物から根菜類を中心にセレクトしているけれど。今回初挑戦なのは大根さん。ロメインレタスさん。特に大根さん。ホームセンターで種のコーナーを眺めていて。うん。これがいいなって手に取ったのが大蔵大根。根の先までどっぷり太っているので煮物にぴったりだなぁと。もちろんうまく育てることができればというところですね。なにやら枝豆の後に植えると肥料いらずで、肌の綺麗な大根が取れるということでそちらへ。枝豆は莢がついたところで実が入らずなくなく抜いてしまったのですが。その分大根さんが育つといいなぁと。

 

 

加えて、野菜畑用にHPを立ち上げているのですけど。なんともHTMLなんて専門学校で少しだけかじったくらいで、なんともコードを書くのって大変よね〜なんて感じで、サイトを作っています。畑のレイアウトとかをイラストに起こしたりしているのですけど。こう実際に図にしてまとめてみると、改めていろいろな野菜を作っているなぁと。どこかで読んだ本にも図にまとめなさいとか言ってたっけ。そうやって時間を気にせず、楽しんで作れている自分がいるので。楽しいことなのでしょう。

 

 

 

さてさて、ぶどうの収穫が始まる前にパートナーと一緒に静岡に出かけて行って。私の妹の相手をしてきました。里帰り出産ということで。実家に妹が帰ってきているのです。姪っ子も一緒に実家にいるとのことだったので。姪っ子共々連れ出して、某市内の大学の公園へと行ってきました。私を仲間はずれにするなと呼んでいない末っ子の妹まで出張ってくる始末で、意図せずして兄姉妹甥姪が集合しているのがなんとも仲の良さを物語っているようです。

 

 

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 木陰は涼しい。

 

ちょうど芝の整備中でメインの広場では遊ぶことができなかったのですが。整備されている公園の木々の日陰のしたで、ご飯を食べたり。やっぱり蝉の抜け殻を探したり、ボール遊びをしたりとのんびりした時間を過ごすことができました。こう昔からある場所で何回も出かけている場所なのですが、子供から、大人になっても訪れることができるというのはやっぱり市民の憩いの場なのですよね。こうした場所があり続けることというのはとっても大事で。昔はあそこの場所で遊んでいたなぁとか、蜂に刺されてぎゃん泣きしていたなぁって。なんだな懐かしい気持ちになるものです。

 

 

いろいろな話をパートナーとしているのだけれど、よく私を見てくれています。特に内面の部分をみて、いつもいろいろなことを指摘してくれます。私が場を繕っていたり、適当なことをしたりしているとすかさず。時には苦いこともあるけれど、こうやって自然体で過ごしているせいか、ようやく自分に気づき始めているんですよね。数年前まではいろいろな本を読んだり、自分はこうなんだ。こうしなくてはならない。そんなことをブログでも書き連ねながら、わかったようなようなそぶりをしていたんですけど。

 

「見つめ直すことができました」

 

とか、もうやたらめったら書いていた気がします。

 

ここでまた「本当の自分」と書いてしまうと、またあっちの方に飛んで行ってしまいそうなので控えますが。昔の自分も、今の自分も、未来の自分も。すべて自分ってことなんですよね。本当の自分なんて探してみて、まったく変なことを行っていたなぁと。その気づき始めているってなんですかって。昔から変わっていないところ。

 

 

変わっていないところというと、怠惰な自分、決めることができない自分、片付けできない自分、肝が小さいところも、格好つけの部分もってなんだかネガティブな感じが出てくるけれど。それが自分なんですよね。とてつもなく弱い感じ。一人では何もできないことも全部わかっているけれど。できる風にしてるのも知っている。

 

 

そんな風だから、周囲のみんなは暖かく見守っていてくれていたんですよね。私に合わせてくれていた。うまくいって自分のおかげでって思ってきたことも。すべてフォローしてくれていたんです。両親も。兄弟も。おじじ、おばばちゃん。そして友人から、関わってくれるすべての人たちが優しかった。

 

 

だから私は色々やってる風できっと何もやっていなくて。動いていなくて。だからきっと私は昔から扱いづらい人間だったんだって。妹も「兄ちゃんは癖があるからなぁ」とか言っていましたしw そんな私の話を聞いてくれる。気を使ってくれる人がいたし、今もいる。本当に幸せなことです。

 

 

どうしたら周囲の人を幸せにできるだろうかと、よく考えます。少しは世の中の人のために恩を返し始めたいですよね。プラプラしている私ももう少ししっかりできるでしょうか。とりあえず明日は、小松菜とチンゲン菜を蒔こう。

知らない地元

いつのまにか8月も後半をむかえています。夜は大分涼しく、秋が近づいているのだなぁと、肌感覚で感じでいます。と、こうきたいところなのですが。連日の曇り空で日照不足という言葉がメディアでも大分取りあげられているようです。今年は8月に入ってからがその傾向が顕著に出ています。はたまた昨年は9月から似たように天候不順が続き、ぶどうの生育にも影響が出てしまったので、収穫時期を迎える前に天候が回復するように祈りたいものです。

 

ももの収穫は8月の中旬までに出荷を終えることができまして、ゆっくりした時間過ごしています。はねだしのすももを使ってジャムを作ってみたり、野菜畑が絶好調なので、夏野菜の収穫に勤しんだりしておりました。野菜は相変わらず。きゅうりとなすちゃん、かぼちゃさんがもりもり。そこにオクラちゃんが採れ始め、毎日の食卓を飾ってくれています。しばらく帰っていなかった静岡にも数日ですが帰省することができたり、パートナーと久しぶりに街でいっぱいやったりと心身ともにゆっくりすることができたようです。

 

さてさて、ちょうど山梨から静岡に遊びに行った時は、やっぱり曇り模様。途中雨に降られたりしていたので、ちょっと表で遊ぶのは難しいかなぁと思って、とりあえず海のほうに向かっている途中にふと思い出したんですよね。

 

 

「あ、このあたりは・・・登呂遺跡がある!」

 

www.shizuoka-toromuseum.jp

 

 

登呂遺跡。きっと小学校の社会の教科書。弥生時代の項にきっと載ってる登呂遺跡。縄文の次だよ登呂遺跡。静岡市民であれば、一度は社会科見学などで訪れたことがある場所ではないでしょうか。だからなのか、なかなか大人になってからはなかなか訪れることがない場所のような気がします。しかしそれはやっぱり身近にあるからだけで。静岡に住んでいない人からしたら「ああ、知ってる。登呂遺跡」

 

登呂遺跡駐車場の案内標識に導かれながら、車をとめてみると。目の前にはなんだか昔みたことあるような田園風景が広がってきて、畑の横をゆっくり歩いて行くと、目の前には竪穴式住居、高床式倉庫がばば〜んって。きっと小学校の時にただただ初めてみたものにたいして、また、教科書に載ってる場所だ!すげ〜って、竪穴式住居の中へ探検気分で巡っていたのを思い出します。

 

しかし今回訪れてみてどうでしょうか。大人になって訪れても楽しいんですよね。遺跡の公園内を巡るだけでものんびりできるし、まじまじと住居の構造をみたり、実際に今の自分が住んだとしたらどんな感じだろう。ってそんな風に想像しながら。自分に置き換えて考えることができる。どんな風に想像したといえば、湿気と虫刺されに悩まされそうだなぁって、ことが浮かんだだけなので。もしかしたら当時一緒に巡った同級生たちはすでにそれを感じ取っていたのかもしれませんがw

 

なんとも、久々に訪れてみると。なんか当時とはちがう博物館が建っていたり(少なくとも私は記憶がない・・・)その中には弥生時代の生活を体験出来るスペースがあったりと。なんとも充実した感じで。通りすがりでもいいので、久々に訪れてみると新たな発見があるのかもしれませんよ。

 

 

山梨に帰る日には土砂降りでどうしようもなかったのですが。沼津港によって、御殿場から山梨に上がるルートで帰ることにしました。

 

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 沼津港で少しだけ浜焼き

 

昔沼津に住んでいた友人と一緒に遊びに行ったことと、それこそ、山梨のワイナリー巡りの帰りに行った(今回と逆ルート)で帰ったくらいで。なかなか訪れないのですが。なんといっても私は干物が楽しみで楽しみで。私は海あり県に生まれながら、お刺身よりも断然干物派で。アジの干物でご飯たくさんいけるんです。美味しい。市場にはいろいろな魚の干物が置いてあり目を輝かせていると。買ってお家で食べよう!ということになり。幾つか買って帰ることにしました(ごちそうさま)

 

 

そうしてその日の夜は干物で一杯と。山梨に戻ってきても静岡を堪能できたようです。

 

こうして静岡を案内するよ〜と、意気揚々とパートナーに話をして実際に案内をしているのですが。そこで実感するのが「静岡のことあまり知らないな」「こんなところもあったのか」という再発見が多いということ。自分の思う地元って、結局自分の行動範囲の内にあって。静岡を案内するのではなく。私の生きてきた場所を案内するよってことなのかなぁと、最近思います。そう思うと、案内しているようで、自分の生きてきた場所をもう一度歩いているとも思えてきて。ああ、こうして今の自分がつくられていったのだなって。

 

 

これは大人になったからそう感じるのか〜って思いそうなところだけれど、これはパートナーが気づかせてくれたのかもしれません。一緒に静岡をまわると自分を省みることできています。静岡に戻る機会は減ってきましたが、次の機会には自分を省みるのも大切かもしれませんが。もっと楽しんでもらえるようにお出かけの構想を練りたいと思います。

 

 

ぶどうの収穫までもう少し、それまでは草刈りやら、出荷の準備といつでもスムーズに収穫へと向かえるように。天気。回復してくれるといいなぁ・・・。

スパイス。

一昨年の夕べからの雨は、断続的に続き。ぶどうにも。私の野菜畑にも。恵の雨になったことでしょう。だからと言って、太陽が照りつけるわけでもなく。雨が少ない割に、太陽の光も届かないという曇り空の状態が続いており。ちょっと気になって、ここ最近の日照時間は例年に比べて、1/4〜1/3程度となっており(お隣の勝沼)本当にすっきりしないお天気が続いているのだなぁと。暑い暑いといいつつも、太陽の光があるとないとでは大違いですね。

 

しばらくすももの色づき待ち。仕事はお休みなので、野菜畑全体を耕運機をかけてみたり、新しい種を植えてみたり。そうして、正午から〜15時の時間はお家に戻っていて、屋内でお家の中でのんびりしながら、おうちでちくちく依頼物を製作したり、体を休めたり。あとはのんびりとドキュメンタリーをみたり。そうしてまた夕方になったら畑に出て行って、虫さんに野菜が食べられていないか見回りして、その日の野菜を収穫したり。そんな風に過ごしておりました。

 

前にも書いたかも?ですか、私はよくドキュメンタリーをみていています。ちょうど昨日はご飯を作りながらみていたんですよね〜。

 

www.youtube.com

 

こう、取り上げられているシェフの方々とは比較にならないのだけれど、なんだかいい刺激をいただきながらご飯を作ることができるのですよね。各回に登場するシェフの心持ち、素材に対する思い、今の現在に至るまでの苦難、葛藤。そういったことにもなんだか励まされたり、刺激をもらったり。

 

そんな中でも、家族間の関係について話しているパートがあって。

 

レストランで朝から遅くまで働いて、家族をないがしろにしてしまった。そこで大事なものに気づいたんだ。家族と過ごす時間を大切に過ごす時間があるからこそ、仕事もうまく回るんだ。仕事だけにいくら情熱を向けても一向によくなかったものが、家族との時間を大事に過ごすことによって、徐々に良くなっていったんだよ。

 

掻い摘んでいるので、解釈は異なるのかもしれないけれど。なんだか自分もそうだよなぁとうなづきながら、手を動かしていました。自分もパートナー、家族、関わってくれる人を大切にしようって気持ちがどんどん大きくなると、全てがうまく回っているようにも思えてきます。

 

 

成功するから幸せなのではなく、幸せだから成功するのだ。

 

 

お世話になっている心理学の先生から教えてもらったことも、ふと思い出しました。

 

 

昨日はお仕事はお休みで、久々にパートナーとゆっくり過ごすことができました。いつもは私がせかせかしていて、いつもたくさん作ってもらってばかりなので。今回はのんびりしてもらうぞ〜と気合十分で。

 

 

朝、野菜畑を回ってきて。今旬のお野菜をたっぷり収穫して。その収穫したお野菜とにらめっこ。と、にらめっこというよりかニヤニヤしながら、これはこうしたら美味しいかなぁ。これまで作ったことがなかったけれど。気になっていたあの料理を作ってみようかなぁって。ちなみに昨日は

 

 

たっぷり野菜が収穫できたので、保存してある、じゃがいも、玉ねぎを織り交ぜて。

 

バインミーベトナム風サンドイッチ)

ラタトゥイユ

なすととうがらしの南蛮漬け 

 

どうしたらワインを合わせたら楽しく、美味しく過ごせるかな。

どうしたらたくさん野菜を食べれるかな。元気になって帰れるかなって。

 

いつもそう考えながら作っているけれど。先述のドキュメンタリーをみているとより相手のことを考えながら作ることができました。

 

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初めて作ったバインミー自画自賛じゃないけれど。とっても美味しく作ることができました。なんとなくネットでバインミーの作り方を探してみて。組み合わせて作ってみます。本当はバゲットの片面を開いて挟むスタイルですが。食べやすいように薄くスライスしたバゲットに具材をのせるか、挟んで食べるスタイルにしてみました。

 

具材は野菜たっぷり。お肉はソテーを一枚ずつくらい。

 

・きゅうり、玉ねぎはそのままスライスしてひんやりと。

・にんじん、大根でなますに。甘酢とレモン汁で和えたものにクミンをパラパラっと。

・豚ロースは五香粉、花椒、醤油、酒、みりん、ナンプラー、砂糖、はちみつ、ニンニクで漬け込んでこんがりと。なんだかとってもオリエンタルな香り。五香粉の中の八角がとってもいい仕事をしてました。

・マーガリン、バターは使用せずに、バケットには鶏レバーのパテを塗って。

・朝摘みのパクチーは豪快にたっぷりちぎってのせて。

 

 

本当に美味しくできたのでさわりだけ。この甘酸っぱいなますちゃんがあるので、さっぱりして食欲のないときでも、ばくばくっていけちゃいそうでした。とっても美味しくいただけました。気になった方はお調べになってお好みのレシピで作ってみるのもいいかもしれません。蒸し鶏とかハムとかでもよさそうです。

 

 

あんましどう作ったとか。普段は書いたりしないのですが。本当に美味しくできたのですよね。色々とスパイスをたくさん使ったのも良かったのかもしれませんが。どうしたら美味しく作れるかはもちろん。相手のことを考えながら作ることが大切なのだと感じました。愛のスパイスってやつですね。とっても大事なことです。そうしてまた相手の笑顔をみて、自分も嬉しくなる。とっても幸せな時間でした。

 

 

さてさて、明日からはすももの収穫が始まります。冒頭でお話しした通り、曇り空が続いているので、なかなかスムーズにはいかないのかもしれませんが。収穫の喜びを確かめながら、畑に向かいたいと思います。

まずは耕してみよう

ここしばらくはなかなかはっきりとしない空模様が続いております。天気予報も雨マークが付いていても降らなかったりと、降りそう降りそう・・・降らない。そんな感じで、雲が重いわりに雨が降らない日が続いています。その分しばらくは夏の暑さを感じることなく、過ごしやすい日が続いているので、冷房のない生活にはとってもありがたいことなのかもしれません。

 

 

さてさて、いつの間にか収穫前の怒涛のピークが過ぎ去りまして、袋がけもあっという間に終わってしまいました。今年でもう袋がけは4回目なのですが。さすがに体が覚えていて、それなりの作業スピードで、テキパキとぶどうを包み込んでいくことができました。袋がけまで終えると一つの山を越えることができたように思え、あとは天候次第。綺麗に色づき、熟していってほしいと願うばかりですね。

 

 

ちなみに私の野菜畑では夏野菜達がいい感じに収穫を迎えておりまして、毎日ナスとキュウリのコンボに加えて、空芯菜空芯菜空芯菜・・・・と楽しい楽しい夏野菜ライフを送っております。「毎日、◯◯ばっかり食べているよ〜」なんて、畑で一緒になるおじいちゃん、おばあちゃんと世間話をしているのですが、結局は「ありがたいことだよね」と、いつものパターン。とっても恵まれた生活をしているなぁと実感でき、それがまた幸せを感じるもとになっています。

 

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おかげさまでレシピが増えて楽しい楽しい。

 

 

こうした趣味の野菜作りをして、数年経つのですが、少しずつ安定して作れるようになり、近所の方々とのつながりもじわりじわりと広がるようになってきました。そうして顔見知りになっていくと、耕作放棄地のお話をいただくようになってきました。そんな耕作放棄地といっても10坪〜30坪くらいの小さな畑なのだけれど。少しでもそういった畑に人の手が入るだけでとっても周囲の農家の人は助かるようです。

 

 

何が助かるのかといえば、とりあえず草がボーボーな状態がなくなることです。雑草がそのまま放置されていると、害虫達の住処となって、その害虫達が病気を媒介して作物に被害を与えることにつながったりします。その雑草達をそのままにしておくと、くっつき虫(静岡だけの方言?)、バカと言われる種がたくさん飛散して、その種達がまた芽を出しては、周囲に雑草が広がってしまうのです。

 

 

ぶどう畑でも、忙しい時に草刈りに手が回らず。草が伸びてきてしまうと。周囲の農家さんから連絡がきて、草刈りをしてほしいと。師匠のところへと要請が来ることが何度かありました。草を刈るというのは周囲の畑へ迷惑をかけないという最低限のマナーであるのかもしれません。それだけ作物をつくるということは草との戦いであるといえますが、またその草刈りが大変だことといったら。夏は作物が育ちやすい一方で、雑草達にもいい季節なのです。

 

 

過去に色々と出向いて、地域おこしなることを色々見て回ってきたけれど、なんか◯◯プレジェクト〜ってなんだかすごく格好いいし、面白そうだなぁって思って、自分も何かしたいなぁ、一緒に何かしたいなぁなんて思っていたんですけどね。結局それって参加しているだけで、やった気になっていただけだったみたいで。結局当事者じゃなくて参加者というか、傍観者なだけだったんですよね。それで傍観者なのに、あーでもない。こーでもないって言ってるだけ。そんな自分を振り返ると、なんともダサくて、格好悪い。なんとも冷や汗が出てしまいます・・・

 

 

それで結局自分は何ができるかって考えてみたら、自分はもっと色々な野菜を作ってみたい。畑が空いている。じゃあ借りて野菜を作ろうってなればwin-winだったんですよね。農機具も使わせてもらえるし、倉庫もあるしでなんともいい環境なのでしょうか。

 

多くの人のためにはなっているかどうかはわからないけれど、小さいながらも貢献できているかもしれない。そんな実感があります。

 

少なくとも周囲の畑のおじいちゃん、おばあちゃんのためにはなっているかもしれない。草刈りももちろんそうだけれど、畑を耕しているだけでコミュニケーションも生まれてくる「若い人と話をするだけで元気をもらえるよ」って、実際に言ってもらえる。食べきれない野菜は近所の人におすそ分けできるし、喜んでもらえるし。

 

そうして前からやるやる詐欺をしていた、作った野菜を販売してみるって宣言していたけれど。ようやく重い腰を上げて、まだ素人の形だけだけれど、販売することができています。

 

 

 

「やりたいことをやりなさい」

 

「置かれた場所で咲きなさい」

 

 

この言葉たちにはなんだか不思議な魅力があります。

目の前には多くの機会が眠っています。

 

そうして、この二つの言葉は私には対になっているようです。

 

 

 

さてさて、この時期は種まきの空白期間。秋冬に何を蒔こうかと検討しています。作ろう!と決めたものは今の所4つほど。山梨の種苗屋さんを駆け回って種を集めています。新しい野菜もチャレンジする予定なので。今からワクワクしています。秋の野菜たちはタイミングが重要みたい。真夏に蒔くことになるので、早く上すぎると発芽が難しい、とう立ちしてしまう。逆に蒔くのが遅れると、冬までに成長しきれず。去年はどちらかというと、遅くなってしまったので、その反省を活かさないとですね。

 

 

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