ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

ほんとうのありがとう

山梨もようやく?悪あがき?なのか、ほんの少しだけ梅雨っぽい気候が続いた週でした。この時期は一生懸命に摘粒を引き続き行っています。摘粒作業は粒抜きとも言われていて。これまでの作業でなんとなくぶどうのイメージである逆三角形に近づいてきているのですが、最後に適度に粒を抜いて仕上げていくことになります。この作業が適正に行われないと、スカスカの房、おしくらまんじゅうしてトウモロコシのようになってしまったり。胴長でなんとももっさりした房になってしまったり。とっても商品性を高めるために必要な作業なのです。なかなか集中力のいる大変な作業ではありますが。この時点で形が見えてくるので、期待を込めながら一粒一粒ハサミで抜く作業は幸せな時間なのかもしれません。

 

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つぶぬきつぶぬき。

 

 

皆さんは「ありがとう」って言っていますか。

 

小さなことですが、買い物でレジを通って会計を済ませて、店員さんに「ありがとうございました」と言われたあとに「ありがとう」と言って、レシートやお釣りをうけとるようにしています。それは別に自分の人格が優れているとかではなく。好きな著者さんが書いているある本の中で

 

むすっとして会計をする時、お金を払う時もニコニコしてありがとうと言って会計をする時には、明らかに後者の方が気持ちがよいし、お金がきれいに循環していくんだよ

 

その内容を目にしてから、自分は日常の中なかでありがとうって普段言わないよな。これまでも言ってこなかった。それでも会計をする時くらいなら自分もありがとうって言えるなって。そんなことを思って、そのまま受け売りで挨拶が少しずつできるようになっていきました。

 

 

だいぶ前からなのかもしれませんが、個人商店さん、各専門店さんが減り、スーパーやショッピングセンターで日常を済ませることが当たりまえの世の中になっていることもコミュニケーションが深まらない理由にあるのかもしれませんが。

 

 

そうやって、少しずつ自分が日常の中でありがとうと言えるようになってくると、気恥ずかしさはなくなり。抵抗なく言えるようになっていくものです。普通に対面のやり取りでも、ラインなどの文章のやり取りでもできていく。昔に比べれば格段の進歩といえるくらいに。

 

 

「ありがとう」

 

「生きているありがとう」「魂のないありがとう」があって。

自分は知らぬ間に魂の入っていない「ありがとう」が多くなっていたようなのです。

 

何々をしてくれてありがとう。助けてくれてありがとう。何かをしてもらってありがとうという時。私は相手に対してよりも、その「行為」に対してありがとうと思えていなかったのかもしれないなぁと。普段から多くのことに対して、「本当にありがたいなぁ」そう思えているのであれば、自然と行動にもつながっていく「ありがとう」の一言が生きてくるのかもしれません。

 

そうやってありがたいなぁと思う気持ちが気づけると。パートナー、ぶどうの師匠、野菜の師匠、畑の仲間、家族、友人、隣人、関わってくれる全ての人たちに感謝の念が湧いてきます。普段身近なひとに対してありがたいなぁという気持ちがいつの間にか消えていた私は、それが表に出てきてしまっていたようです。

 

たまたま今は少しばかし病にかかっているのですが。それを知った家族からはすぐに連絡がきます。

 

本当に心配してくれてる人がいるんです。何回も「大丈夫か〜」「大丈夫か〜」と毎日のように連絡がくると「大丈夫だってば」となってしまうけれど。気にもならなければそうやってマメに連絡がくるわけでないんです。本当にありがとう。

 

 

このことに気付く機会を与えてくれたパートナーにありがとう。

 

いつも美味しいご飯を作ってくれてありがとう。

買い物をしてきてくれてありがとう。

いつも片付かない、散らかっているお部屋を掃除してくれてありがとう。

洗濯をこまめにしてくれてありがとう。

お弁当を作ってくれてありがとう。

愛してくれてありがとう。

 

 

このほかの多くのことにありがとう。

 

 

 

どれだけ自分が助けられているか、愛情に包まれているか。与えられてばかりではなく、多くのものを与えるひとになります。

 

 

 

さてさて。畑の方はぐんぐん成長して、楽しみが増える一方。ぐんぐん雑草も伸びていたようで、午前中はパートナーに手伝ってもらい一生懸命に雑草を抜いてきました。今日のメインはじゃがいも畑の雑草を抜いてきたのですが、大物がたくさんたくさん。帰りに雑草を一箇所に集めてくると山になるくらいに。ちょうど先週末から雨が降り出していたので、作物にはもちろん、その他に生きている草花にも恵みの雨だったのでしょう。それだけたくさん雑草が伸びるということは、地面に栄養がたくさんあるようにも素人から見えるので。生きている証拠ですよね。みんな一生懸命生きているのですよね。

 

 

昨日は一回のおばあちゃんに桃を頂きました。

 

 

ありがとう。

 

いつものお米。

今日は急にできたお休み。予定はもちろんないし、お出かけには天気がそこそこな感じ。依頼のあったデータを印刷会社さんに入稿したら後はフリー。とりあえず時間があるので、少しだけ朝食をのんびり作って、食後にはお豆を挽いてドリップしたコーヒーを(わざわざ)飲みながらパソコンに向かっています。お昼は何を作って食べようかなぁって。お米をたかなきゃって。すでに思考はそちらに向かっています。

 

そうそう。先週お米を買ったんです。だいたい1ヶ月半前後で10kgほどのお米を食べているんです。年間でも結構食べている方なのですが。スーパーに行くとお米の価格の変動がなんとなく目につくんです。最近お米って値上がりしている傾向なんですよね(いつもいくスーパー、私調べ)みんなお米をあまり食べないんですかね。

 

 

college.nikkei.co.jp

 

 

う〜ん。確かに朝お米ってお家って少ない気もしますよね。私の小学校の時から食の欧米化だとか誰か言ってましたし。うちの母親も毎朝ロールパンをトースターでよく焦がしてましたし、CMでも「朝はパン♪パン、パンッパパン♪」って。ご機嫌で気持ちがうきうきしてくるので、私も「パンッパパン」ってしちゃいそうになるけれど、私は毎日ご飯派なので、パンを食べるのは時々って感じ。

 

 

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トマトちゃんが食卓に並べ始めました。

 

 

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朝食は冷凍したバゲットと自家野菜のサラダでした。

 

 

 

 

いつも食べているのはコシヒカリ。別に良いお米を食べているわけではないけれど、店頭でふと目に入った山形のはえぬきを買ってみたんです。コシヒカリもおいしいけれど、はえぬきもバランスがよくって美味しい。そんな気がする。お米の銘柄を変えて、初めて炊いたお米を食べるとちょっと違和感があるのけれど、2日、3日、一週間と食べていくといつの間にか味覚があってくる。おいしいなぁと。で食べ続けていくと特に意識することなく、今日のおかずはご飯がススム君だなぁって思って、お米の銘柄を変えたことは意識から消えていく。

 

以前、山梨は北杜市にあるお米農家さんから、ひとめぼれの新米を頂いたのですが。本当においしくて。やはり違うなぁ。いいお米って美味しいね〜。って言いながら食べていたけれど。やっぱりいつものお米のほうがなんだかしっくりくる。

 

「粘り気があって、甘くておいしいですね〜」

 

って何かのテレビで、お米の銘柄の特集を見ていたときに。出演者のみなさんが食べながら食レポしていたけれど。私は粘りも甘みもそこそこあるくらいのお米のほうがおかずと一緒に食べるスタイルが多い私にはいいみたい。いつも食べているものが一番美味しいなぁって、お家で作ってくれたご飯がおいしいなぁって。

 

最近、外食をあまりしないし、時折食べる機会があると、昔ほど美味しく感じません。お家で作った、ご飯、味噌汁、おかず。一汁一菜の質素なところに落ち着いているのは自然な流れなのかもしれません。

 

 

 

平凡のなかに非凡

 

醲肥辛甘(じょうひひんかん)は真味にあらず。真味は只だこれ淡なり。神奇卓異は至人(しじん)にあらず。至人はただ是れ常なり。

 

醲 ・・・ 濃い酒

肥 ・・・ 肥えた肉

神奇卓異 ・・・人並み外れて優れていること

至人 ・・・ 道を体得した人物 達人と同じ

  

酒や料理などこってりしたものは、いずれも本物の味ではない。本物の味とはあっさりしたものだ。並外れてきらびやかな才能の持ち主は達人とは言えない。達人とは平凡そのものの人物をいうのだ。

 

[決定版]菜根譚

[決定版]菜根譚

 

 

 

 

才能があって活躍している人をみて、私もなりたい!できるはず!って思っていたのですけどね〜。

 

 

さて昨日は仕事終わりに暗くなるまでマルチをひいて、オクラを蒔いてきました。私の流行りがコンパニオンプランツ。バジルとマリーゴールドを混植して。虫害がどれだけ防げるか。もうちょっとしたら、自分の野菜畑の様子を見てきたら、何もしないでぼーっとする流れになりそうです。

たまたまわしわし

随分と間があいてしまいました。なんだか久々な感じで。知人の方々からは最近ブログを更新が減ってきたね〜とか。毎日充実しているのかしらなんて日を置かずに言われてしまうのですが。そうなんです。充実してるんです。でもだから書けないんじゃなくて本当にブログを書く時間にふれる時間がないんです。ごめんなさいwだからかけるときに近況を少々(今日は土砂降りでおやすみです)

 

 

ぶどうはピークの後半戦に向かっています。一回目のジベレリン処理(種無し処理) を一通り行うことができまして、現在は摘粒作業(房につく粒を抜いて、ぶどうの形になるようにする)を行っています。日中の気温が30度超えることも普通になってきました。毎日13時〜15時までは暑さとの戦いとなっています。この時期は体調を崩しやすいので毎日しっかりと休息をとることを心がけています。

 

 

ありがたいことに微力なのですが、デザインの方でもお手伝いさせていただける機会に恵まれていて。それがまたよい息抜きにもなっているようです。以前はパソコンに向かってばかりいて、自然の中に行くのが息抜きになっていましたけれど。きれいに逆転してしまって、なんだかなぁとも思うわけですが。普段そういったことから切り離されているので、パソコンに向かって作業をするのも全然苦にならない。というより楽しく作業できています。

 

さてさて、調子にのって畑を増やしてしまった経緯を前に書きましたが、おかげさまで早朝から畑に出向いて野菜のお世話をして、そのままぶどうのお仕事へ。お仕事が終わったらもう一つの畑のお世話を。お家に帰って来ると19時を過ぎているのでなんともかな、炊事、洗濯、掃除をすると私のシンデレラタイム21時を超えてしまうんです。眠気には勝てませんで、すぐに寝るようにしています。ここで無理して起きているだけで体調不良に直結しますから。

 

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かぼちゃは午前中しか人工授粉できないわけで。

 

夏もだいぶ深まってきましたが、昨年の晩秋に植えた根菜類たちが収穫を迎え始めています。直近でにんにくと玉ねぎを収穫となりました。玉ねぎは種から栽培したのですが、市販の種一袋で20kgオーバー収穫できました。夏の終わりに種をまいて、苗を作って、マルチを引いて、移植してと。種から育てているとなんだか感動もひとしおです。

 

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豊作のたまたまさん。 

 

今年から借りている野菜畑に雨の日以外は毎朝、休日は午前中に行って野良仕事をしているのですが、少しずつ周りの畑で作業をしているおじいちゃんや、おばあちゃんとお話をする接点が生まれてきて、世間話をしながらのんびり作業できるような、居心地のよい時間を過ごせるようになっています。おばあちゃん子の私にはお話を聞いているだけでもなんだかほのぼのして、一息できる時間であるのですが。それに加えてありがたいことに結構な頻度で朝採りのお野菜をいただいています。昨日はきゅうり、その前はアスパラ、じゃがいも、レタスなんてね。

 

おかげさまさまで、ベランダの物干し竿は荷重オーバー。100均で買ってきた数個のバケツは野菜いっぱい。毎晩玉ねぎを切ったり煮たり焼いたりしながら、頂いたじゃがいも畑での会話でもしているときも「私なんか毎日じゃがいもばっかりだよ〜」「俺はレタスばっかりパンに挟んでたべてりゃあ」なんて笑いながら語り合っているのですけど。なんとも平和で、最後には毎回「食べるものがない人だっているんだから、幸せなことだよねぇ」と言って会話が終わっていきます。わしわしわしわし。

 

たまにあるおやすみには自分の作った野菜でご飯を作って待っててくれる人もいる。ご飯と一緒にお酒を飲めると。お野菜たちもなんと幸せなことで、食べている私も。その野菜を作っている私はもっと幸せになる。だからまたおいしい野菜を作ろう・・・と良い流れの中にいる。これ以上何が必要なのでしょうか。

 

一、二年前はなんだか色々なところに出向いたり、遊びに行ったりしていたのですけど。なんだかそれが遠い昔の事のように思えてきます。私の周りには積極的に行動されている人が多くて、まずは行動してから考える。そんな活力に溢れている人がいてすごいなぁ、私ももっと頑張らなくては!自分はまだまだ、だからもっと頑張らないとって。励みにしながら私なりに動いていたものですけれど。今はあまりそちらに関心が湧いてこなくなってきてしまいました。

 

その分?ではないですけど、パートナー、仕事仲間、農家のおじいちゃんおばあちゃん、友人、知人、近所の人。身近な人たちにありがたいなぁと。生かされているなぁと。感謝できる自分がいて、そうすると自分にも優しくなれるようになると。だいぶそうすると余裕が生まれてきて、ぜんぜん頑張る必要がないんですよね。本当に楽ちんです。頑張らなくていい。無理をしなくてよいのですから。(肉体的には炎天下で毎日腕を上げて仕事をしているし、ずっと立っているのでヘトヘトですけどねw)

 

 

って、それっぽい事をいっていますけど、出向きたいところはたくさんあるのだけれど。畑に色々素人農業で蒔きすぎて、植えすぎて、畑にいる野菜たちが気になって、畑から離れられないのです。畑に行かないと小さかった雑草がいわゆるボーボーへと向かっていくし、青虫くんたちの襲撃でトマト、ナス、ビーツの葉は食害にあっているし、次はいつ襲撃してくるかって、ビクビクしているんです。ショックが大きいんです。だから身動きができないっていうのが本当のところな気がしてしまった。

 

 

そうそう。生姜がようやく芽を出したんです。とうもろこしは穂が出始めてる。枝豆はね摘心したらお花が咲き始めそう〜。

 

なんて。また野菜の事を書いてしまう。野菜の話題だけは尽きることがありません。農家のおじちゃん、おばあちゃんたち。いつも同じことばかり話をしているなぁって眺めてみていたけれど、真っ黒な肌の見た目だけでなくて、畑にいるおじさんと化していますね。なんともうれしいことです。

 

さつまスリップ

だいぶ夏っぽくなってきましたね。昼間は気温がぐんぐん上がって。日差しもギラギラと照りつけるようです。すでに数週間前から毎日のように。今日は焼けたね〜。真っ黒じゃんって、真っ黒な仕事仲間に言われる始末で、さてどっちが黒いんでしょうかって、他の人に聞いても永遠に答えが出ないような感じになってます。もうなんだかわかりませんけど。夏の訪れとともに私の肌も夏色へと向かっているようです。

 

ぶどうはちょうど誘引の真っ只中。とはいっても今年は生育が例年よりも遅れている事もあり、誘引できるほどに新梢伸びておらず。なかなか思ったスケジュールでは作業が進んでおりません。昨日と今日とだいぶ夏日で推移しているので来週は成長とともに作業もはかどりそうです。生きているもの同士。リズムがあるのでぴったり合うことはなかなかないので、対峙する私たち人間がつねに歩み寄らなければですね。

 

さてさて。ぶどうの作業がなかなか進まないということは、少しなりとも時間はあるわけで。自分の野菜畑に毎日のように足を運んでどんどん充実させております。昨日は中央市のとある道の駅まで朝早くから出張りまして、さつまいもの苗を購入しにいってきました。

 

 

野菜の師匠が「地元の農家さんが良い苗をおろしているから行っておいで〜」とおすすめしてくれたのです。この道の駅。実は静岡に帰省するときの道沿いにあって、何度も立ち寄っていたのですよね。しかしトイレ休憩でしか使ったことがなく、農産物販売所にはお邪魔してなかったのですけど。なんとも朝から凄い人だかり。新鮮な野菜が手ごろに購入できるとあって、県内、市内の方はもちろん。県外の人たちと合わさって、とっても賑わっていました。私も苗だけのつもりが、ついつい購入してしまったほどですから。

 

とよとみ 関東「道の駅」

 

 

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植える前に吸水。

 

 

買ったさつまいもの苗はなんとも立派で。ホームセンターの苗などは細くて頼りないのですが。なんとも嬉しい。なんとなく本に書いて有った「良い苗の見分け方」を頭なの中で反芻しながら、こっちかなぁ、いや、あっちの苗にしようか」なんて一人で楽しく悩んで一束(30本)買ってきました。そうして昨日のうちに、畑に畝を立てておいて、今朝方に20本強ほど植えつけてきました。

 

 

さつまいもの栽培。実は今回作るのは初めてではないのですよね。とはいっても本当に久しぶり。いつぶりかと聞かれれば「小学校」以来。

 

 

小学校のとき、学校の恒例行事でさいまいもの栽培を全校生徒で行っていたんです。そのときはたしか「6年生と1年生」「5年生と3年生」「4年生と2年生」だったか。学校内で18グループに分かれて畝を立てるところから、植え付け、水やりと。管理を当番制にしてやっていたんです。夏の水やり当番なんか面倒臭くて、自分の番が来ちゃったよ〜なんていいながら、ホースで畝に水をかけていたっけ。

 

 

当時はなんというか、土で手が汚れるのもあんまし好きじゃなかったし、小さい虫でも出てくると「ゔっ」と。お尻がキュッとなっていたもの。軟弱ぶりをいかんなく発揮していたんですけどね。葡萄ばたけでだいぶ虫さんたちと仲良しになれたのか、ムカデとハチさん以外であれば全然大丈夫になっているんですから。なんともたくましくなっているよと、過去の自分に言ってあげようと思うくらい。 

 

 

そうそう。自分たちで栽培したものは秋の収穫祭なるイベントにて味わうんです。みんなで運動場で一斗缶で火おこしからスタート。焼き芋はもちろんやるのですが、はんごう炊飯でさつまいもご飯作ったり、味噌汁焚いたりしてね。これがまた食べる行事なのでみんなちゃんとやるんですよね〜。「焼き芋は準備が大切です。さつまいもは濡れた新聞紙で包んで、その上からアルミホイルを巻いておいてください」これが鉄則でして。しつこくグループのみんなに周知したものです。火加減にもよりますけど、ちゃんとやらないと丸焦げになっちゃうんですよ。それはまたそれで楽しい思い出ですが。

 

 

今では畑がなくなってしまったので、現在も続いているかわかりませんけど。土や作物と触れ合うこと。先生方の協力があったにせよ、自分たちが植え付けから収穫まで一貫してやり遂げたことって記憶に残りやすいんでしょうか。それとも、私の関心がそのときから農に向いていたのか。それはわかりませんけれども。もともと人間に備わっている記憶を呼び覚ますといいますか、しっくりくるように思えてなりません。

 

要はなんとも小さな頃の私が、もう一度さいまいもを植えることになろうとは。ってことなんですよね。はい。

 

 

 

さて、なんだかんだで未だ素人農業、素人発想から抜けだけないので。とにかくいろいろ作りたい病から抜けきれず。結構いろいろなものを植えているんですよねぇ。 

 

現状で土に埋まっているものは・・・

 

ささばたけ

たまねぎ(泉州

にんにく(ジャンボ)

じゃがいも(アンデス、キタアカリ、メークイン、男爵、インカのひとみ)

ビーツ(デトロイト

にら

トマト(桃太郎、レッドオーレ、イエローオーレ)

ナス(黒陽、千両2号)

とうがらし(伏見甘長、万願寺、ししとう、鷹の爪)

白ネギ(石倉一本)

ミツバ

きゅうり(夏すずみ)

空芯菜

スイスチャード

かぼちゃ(ぼっちゃん)

白いんげん

ゴーヤ(あばし)

さつまいも(紅あずま)

 

ベランダ

パクチー

タイム

パセリ

イタリアンパセリ

 

 

と、こうやって面倒を見ているにもかかわらず!今年こそは!と息巻いて私なのですが。毎日のように畑に行って、お世話をしていたトマトちゃん。毎回成長するたびに、脇芽を取ったり、まめに支柱へ結びつけていたのだけれど。畑に行って支柱に結びつけようとしようと軸を持ったところ、 ポキッ て。

 

 

なんと結びつけた結び目のところからら、主軸が折れてしまった・・・。

 

毎回見ていたはずなのに。なんで結び目が窮屈になっていることに気がつけなかったのか。かわいそうなことをしてしまった。本当にごめんなさい。

 

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じゃがいもさんたち。もりもりしてきてる。 

 

 

こんなこともあってとっても悲しいのですが、いつのまにかたくさん植えていらっしゃるのね。私。ということで。梅雨になるまではしっかりと朝夕に水やりと。見回りを強化しながら、こまめにお世話をしていきたいと思います。つぎの収穫は多分玉ねぎとにんにく。さあ、つぎは何植えようかなぁ。

私はやさしい人

GW。皆さんはいかがお過ごしでしたか。周りのフィード流れていく様子をうかがっていると、のんびりとおうちで過ごされている方や、様々にお出かけしている方がいたようです。私はと言いますと、ちょうどぶどうの芽かきのタイミング。畑を駆け回りながら芽をとっては投げ、むしっては投げ。その合間には草たちがどんどん生えてくるので、まさおくんに乗りながら畑を丸坊主にと。シーズンの始まりらしい仕事ぶり。

 

それでも最後の三日間だけはお休みとなったので。パートナーと一緒に野菜畑に精を出したり、静岡の親友の御宅とお邪魔。大きくなった子供と、子供のまま大きくなってしまった友人たちとのんびり屋外でBBQな感じ。昔から変わらずこうして付き合える仲間というのは嬉しいものです。お子さんも小さい時から見ているので勝手に成長を見守っている感じもあるので。毎回楽しみでもあります。

 

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芽かきをした根っこに子芋さん。

 

野菜畑にはだいぶ春の畑から、夏の畑へと向かっています。トマト、なす、とうがらし、きゅうり、かぼちゃと。葉物が終わった場所へと定植しています。遅ばせながら空いたスペースに生姜も少しだけ植え付けました。秋に植えた玉ねぎ、にんにくはあと一ヶ月くらいで収穫を迎えそう。春先に植えていたジャガイモは芽かきをして、堆肥とともに土寄せして。小さくつき始めた子芋さんを太るのを待つばかり・・・。

 

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 悪友たちと。

 

 

今回はいつもながら、山梨のワインを3本ほど。お肉だからということがあって、赤2本、白1本。別に今回は気取って飲むわけでもないので、気軽にスイスイ飲めるものを。ちょうど今回は春に植えた野菜がいい感じだったので、静岡に帰る前に畑に行ってサニーレタス、春菊、小松菜、二十日大根、小蕪を収穫して持って行きました。こうして持って行った野菜を皆に食べてもらって喜んでもらえるのはとっても嬉しいことです。

 

「おいしいの声が聞きたくて」

 

自分で作って季節を感じることができる。体に良いものを食べれるから。野菜を作っているだけで、いろいろな効用はあるとおもうけれど。何事にも変え難いもの。自分で作ったものを喜んで食べてもらうことには及ばないようです。ますます畑仕事に精が出ちゃいそうです。

 

 

とっても充実したお休みではあったのですが、休みを通じてとってもとっても大きな気づきがあったんです。

 

 

それは私はやさしい人だったということ。結構いいやつなんですよ。私。前述の通り、作った作物を差し入れで持って行くし、ワインも持って行くし、本とかささっとプレゼントできる。気遣いができて、やさしいやつなんです。

 

 

だから私は気遣いができます。口癖でこうです。

 

大丈夫?

◯◯しようか。

大変だったら変わるから言ってね。

 

 

自分は周囲にたいして、目が行き届いていて気遣いができる。それは自分が持っているやさしさからきているのだって。そのような自負があったのです。だからこそ聞くんです。私は助けるよって。

 

でも実際には自分の安心感を満たすために。全くもって向きが違っていたんですよね。

 

 

あなたが大丈夫なら助けない。だって大丈夫だから。

あなたが何もしなくていいっていうから、私は動かない。

大変じゃないなら変わらないよ。あなたに任せるね。

 

 

ここには自分の責任を放棄。判断を全て相手に。責任を相手に委ねていたことに、ここにきてようやく気がつきました。自分が思いやっていたのではなくて、相手が思いやってくれる気持ちに乗っかっていて。私の気持ちまで満たしてくれていたことにようやく気付くことができたんです。

 

 

私は相手を一人に追い込むのが得意な人間だったということ。

思いやっていたのはそう「自分自身にやさしい人」だったのです。

 

 

どれだけ自分本位のやさしさで、自分から見える視野からでしか見ていなかったのか、こうしているから自分はこういう人なんだ。そこにはいつも相手がいませんでした。そんなパラダイムから解放された瞬間でした。そうすると、あれも、これも、そっちも、あんなところにも。今までしてきたこと、昔、今、未来に対しても。関わる全ての私の行動に目が付くようです。

 

 

普通に葡萄畑で仕事をしていて、こう言います。

 

 

この作業は◯◯と△△を気をつけてね。

 

こうしてしまうと取り返しがつかないから慎重にね。

 

 

ここには全ての責任は、言ったことを守れなかったできなかった相手の責任だよと。

 

 

でも私は気付くことができました。気付かせてもらいました。気づくチャンスもらえました。本当に助けてもらってばかりで、愛をもらってばかり。パートナーにも、周囲のも皆にも。いままでもこれからも関わってくれる人に愛を持って接したい。寄り添って歩いていけるような人になります。

 

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日本平の庭園。この〜木なんの木♪ な景色が広がってる

 

今日は悪天候でお仕事はお休み。いつも使っているやまご味噌が底をつきそうなので。甲府まで車を走らせて、これから仕入れに行ってきます。新しいお味噌と冷蔵庫に残ったお味噌。時間がたつと風味が違うのも楽しいところ。どちらにも好みはあるけれど。発酵が進んだものの方がよりまろやかな気がします。私の角は時間とともにますます取れていくようだけれど、まだまだ発酵途中。まろやかさと深みのあるやさしいお味を今宵のお味噌汁から学びたいと思います。

 

ん〜。大根と根深と油揚げかな。

気になる息子たち

徐々に夏に近づいているのがわかりますね。こちらでも桃もさくらも薄緑の葉がニョキニョキと出始めているようで、周囲の風景が変わってきています。やまやまにも黄緑色が映えるように広がっています。この時期の緑色が私は一番好きかもしれません。先週までですももの受粉がひと段落。ぶどうは少しづつですが、芽が出始めているようです。まだ私の地域ではまちまちなのですが、標高の低い地域ではだいぶ先端が伸びてきている畑もあるようです。ぶどうの忙しない季節が着実に近づいています。

 

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ももの受粉。気分屋の貴陽ちゃんに、やさしくやさしく。

 

静岡に数日帰省しておりました。そろそろぶどうは本格的なシーズンに入っていくのですが、5月の頭というのはぶどうさんの成長の良し悪しによって、シーズンインが前後します。シーズンが始まってしまうと、帰省もできないものですから。そのまえに。おばばちゃんのお墓まいりだけはと。おかげさまで滞在中は毎日お墓まいりにもいくことができ、お掃除やら、お花をもりもりにしたりと。大満足。

 

 

「ばあさん〜これから忙しくなるから、しばらくこれんよ〜

 

なんて言いながら、手を合わせていました。妹のところには何度か訪ねてきているようですが、初孫の私のところには今だにおばばちゃんはでてこない。夢にも出てこないし、日常でもぜんぜん見えてこないのですが、お線香をあげて、お墓のまえで目を瞑って手を合わせているときだけは、なんだか近くにいる気がするのですよね。毎回お墓に行くごとに手を合わせている時間が長くなっているようです。そのおかげで、ゆっくりお話をできているのでいいのですが。

 

 

実家の戻っている間には、お墓まいりと自分のための買い物を済ませたら。特に用事は作らず。他は家族のことでずっと動き回っていました。ちょうど妹が生後2ヶ月?の息子を連れて実家に遊びに来てたので、ちょくちょく面倒を見ながら、スーパーへ買い出し行って、お夕飯の準備をしたり、母親の飲み会の送り迎えをしたり、父親の晩酌のおつまみを作ったり。そうして帰るまえには、その日の作り置きのご飯を作って帰るかんじ。普段の休日よりも動いているかもなんて。

 

 

帰るまえの日に、母親と夕飯を共にしていたのですが。数日まえに小学校、中学校のときの同級生の親御さんとスーパーで合うことが続いたようで。

 

そうそう、この前ね◯◯君と、□□君のお母さんに会ったのよ。

 

◯◯君は結婚して地元に戻ってきて家を建てたみたい。

 

□□君はね。”自分探し”に行くって、沖縄に行って帰ってこないんだってよ。

 

 

って、やっぱり自分の子供たちの話になったらしく、

 

 

母:「うちの息子は山梨で農業やっているわよ」

 

 

とまあ、案の定そんな流れらしくて。

 

「今農業やる子たちが増えているんだってね〜。いいわよね農業。あの子にも農業やって言ってみようかしら」

 

なんて。どこの親御さんも同年代の子供の動向はいつまでたっても気になるようです。きっと、どこの高校、どこの大学、どこに就職したの〜?なんて、つい最近までそんな話をしていたように思いますけど。いつの間にか母親たちの関心の中でも「学歴」なんて関係ないし、興味の対象になってないんですよね。きっとどこの子が、どの学校行ったとか忘れていますもんねw

 

 

その学歴って、しばしば話題に上がったりしますけど。今回友達の動向を色々と母親伝いで聞いたなかで。えっ。ついこの前まで都内で面白いことやっていたのに、地元に帰ってきちゃったの?と、確かいい学校行っているし、頭も良いし、面白いやつなのになぁ。なんて、時折もったいないなぁと思う話があったりするんです。あんなに才能あるのに。もったいないなぁって。

 

 

そこにはいろいろな本人の理由や事情、気持ちの変化などがあると思うので。余計なお世話だよってことなのでしょうけど。どこかであいつには敵わないなぁとか、あいつはすごいや。って仲の良し悪し関係なく、認めている、一度でも認めていた友人、知人に対しては頑張って欲しいなぁとかって、知らぬ間に期待をかけていたいたんだなぁと。自分って誰々云々にはそんな気持ちを抱いていたんだなぁと。なんだか不思議な気付きを得たようでした。まあ逆にいつまでたっても変わらない友人がいたりして「やっぱりそうだよな」って子もいるからまた楽しいのですが。

 

 

 

 

ささばたけのお話。

 

サニーレタスは先週からの天気と気温上昇でどんどん大きくなったので、取れたうちの15〜20株くらいはおすそわけで。静岡にもたっぷり持ち帰りました。いろいろな人に急に連絡をして、貰ってもらいました。去年は採るのが遅くて硬くなってしまうことを繰り返してしまったので。二の舞を踏まないように。せっかく種から育てたのですから。おいしく食べてもらったほうが嬉しいですよね。私も、野菜たちも。

 

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ラディッシュ。小玉でもピリリと辛い。

 

ほうれん草はおしまい。サニーレタスはあと数株のみ。ラディッシュは収穫始まり。

 

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ナスを育てるのには、ちょっと自信あり。

 

とりあえず秋に植えたものを収穫し終わったところから土作りをして、夏野菜の苗を植えています。手始めにトマトとナスの苗を中旬以降に定植。ビーツも少しだけ蒔きました。

 

トマト 「桃太郎」「レッドオーレ」

ナス 「千両2号」「黒陽」

 

ということで、去年うまく作れた品種と、初めて植える品種の組み合わせでやってみました。トマトさんはなんとも悲願の大玉収穫。おおだま。おおだま。お願いだから収穫させて。ケチャップ作りたいんですもん。

さらさらねばねばぱらぱら

四月に入りましたね。先週末は友人の様子をSNS上で眺めていたのですが、都内にお住いの皆様はもれなくお花見にお出かけしていたように見えるくらい。桜やら宴会を楽しまれているようでした。みんな寒いとも書いていたけれど。もう今年も1/4終わっているわけです。桜が散り始めると。早くも「夏」のキーワードが出てきて、秋になって・・・。あ。今年もあっという間でしたねという流れを早くも感じています。

 

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本日は四月に入ってからお初の仕事でした。今日は先月ユンボで掘り起こした場所へ、巨峰やピオーネの苗を定植していきました。ぶどうの苗を定植する時には、たっぷりの水やら、人によっては堆肥入れたり、マルチや藁を引いたり、かぶせたり。それぞれに好みのやり方で植えていくのですけど。とにかくスコップや、クワで土を戻すのがなんとも。腕に力が入ります。だからきっと明日は普段使わない筋肉が総動員されているだけあって筋肉痛が出そう。

 

 

さて、苗を植える作業って結局はパターンな仕事なのですけど。穴の中央に苗木を配置、固定をしたあとに土を戻していると面白んですよね。疲れる畑と疲れない畑があるんです。いくつかの畑に定植を行ったのですけど。それぞれ違うんですよ、土が。

 

 

川沿いの畑だと、さらさらしていて、水がすぐに染み込んでいく。手に取ってみるとそれは川砂で軽いんです。そして小石がコロコロって。地面を掘って、1mも行かないところで、すぐに川砂なんです。俗に言う、水はけが恐ろしくいいのですが、栄養もどんぶらこっこって、すぐに流れていってしまうわけで。過去三年分の経験からだけですが、あんまし粒が大きくならないし、色があんましのってこない。

 

 

ちょっとした高い丘の上にある畑。とにかく粘っこい。クワやシャベルで少し掘ると、くっついて離れないのです。少しばかし振り回したり、叩いたりしても土が剥がれない。そして、ちょっと水を含むと、長靴の底にびっしりとついて離れない。かなりの粘土質だったり。そのしつこさにちょっとムッとなるくらいに。土壌のマップでみると、暗赤色土とありました。確か根菜類を作りにはぴったりだったはず。

 

 

山が南向きの傾斜の畑。サラサラでもなく、くっつくわけでもなくといったところで。聞いてみると、火山灰土ということで。とにかく一つ前の畑とは打って変わって程よくほぐれている感じ。ここまで作業性が違うのかと感じるくらいに。山梨だと富士山の影響下にある地域には火山灰土の場所が点在しているようですよ。

 

 

とまあ、3キロ圏内くらいでこれだけの差があるのですから。どこを一つとっても同じ環境の場所はないのだなぁと。同じ作業をしていても。それは動作だけで。接するものがすべて違っていると。なんとも楽しいことですよね。こうして楽しいとか言う前に、その土地の特性を知って、作物の出来栄えを良い方へと向かわせていくのが玄人な感じなのでしょうけど。まだ私は楽しい嬉しいどまりなようで、その分伸びがあるんですよ。きっと。

 

 

普段あんまり農家っぽいことって、ほんとうに ”ほどほど” 程度に書いているだけですけど。たまにはちゃんとやっているのよアピールをしといてもいいですよね。だって農民ですから。

 

 

 

さて、東京から帰ってきた先週末悪天候で仕事もなく。昼間はベランダのハーブ菜園を復活すべく、ホームセンターで培養土やら、種やらを買い出しに行って。そのまま連続して種を蒔きました。いつの間にか畑で野菜を普通に収穫しているのですが、山梨に移住したすぐの頃は、ベランダでハーブから始まり、トマト、イタパセとかに手を出していたんですよね。それも2年前ですから。懐かしや。

 

 

今の所、ハーブ類は、コリアンダー、パセリは購入済み。ミントなどはアブラムシにやられた経験と、利用用途の少なさからお悩み中。クミンに興味を持ったので、調べてみると簡単に種を取り寄せることはできるけれど。25〜30℃が心地そさそうなので。ちょっと難しそうかしら。苗が売っていれば、オレガノか、レモンバーム良さそう。と早足で語ってしまいましたが。遊びでもベランダや軒先で小さく栽培してみるとなかなかよいものですよ。

 

 

今年はジャガイモのを植えた話をしましたが、まずはその畑の周囲を長ネギで囲って・・・ジャガイモの収穫のあとは、サツマイモも植えて・・・。と今までになく手を広げています。パソコンと1日にらめっこしてた私は、はじめはベランダで一つのプランターから。そこから自分が食べる分をと野菜を作り始めて、そこから余分に作って一丁前に人にあげたりしてって進んでる。

 

 

はじめは小さく始めなさい

 

 

とは、よく聞くようになった言葉ですけど。そもそも小さく始めるということすらハードルであって「いつの間にか・・・大きく・・広く・・・。」って、他人に聞かれるまでわからない。考えたことなかった。そんな「始まっていた」ようなことが、余計な義務感やmustな意識から離れられることなのかなと。そんな気がします。

 

 

さて、英語の勉強しないといけないなぁ・・・。

 

 

・・・あっ。